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■引用原文(日本語訳)
「たとい極悪人であっても、ひたすら私を信愛するならば、彼はまさしく善人であるとみなさるべきである。彼は正しく決意した人であるから。」
(第9章 第30節)
■逐語訳
「たとえ行いが極悪であったとしても、もし彼がひたすら私を信愛するならば、その人はまさしく正しい決意をした善人と見なすべきである。」
■用語解説
- 極悪人(api cet su-durācāraḥ):「非常に悪しき行いをした者」。
- 信愛する(bhajate mām ananya-bhāk):「ひたすら私を信愛する」。ここでは誠実で一途な信仰を指す。
- 正しく決意した(saṁyag vyavasito hi saḥ):「正しく心を定めた者」であり、正しい方向への覚悟を持つこと。
■全体の現代語訳(まとめ)
たとえ過去にどんな悪を重ねていた者であっても、もし今、誠心誠意、私への信愛に生きるならば、その人はすでに善き者として見るべきである。なぜなら、正しい決意をして歩み直そうとしているからだ。
■解釈と現代的意義
この節は、過去の過ちが未来を決定するのではなく、現在の決意が人を善へと転じるという、人間の可能性と回復を強く肯定しています。
神は外面的な過去の行為ではなく、現在の心の方向・真剣さを見て評価するという、宗教的寛容と道徳的再生の核心を語っています。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
過去より「今の姿勢」 | 過去に失敗や非難される行動があっても、真剣にやり直そうとする人は積極的に信頼し、支援すべきである。 |
正しい方向への決意を重視する | 能力や成果よりも「今、何を目指しているか」「どのような覚悟があるか」が信頼の根拠になる。 |
再起への寛容さが組織文化を育てる | 失敗者や問題社員を排除するのではなく、誠実に立ち上がろうとする意志に光を当てることで、組織の包容力が高まる。 |
■心得まとめ
「人は過去ではなく、今の志によって善悪が決まる」
たとえ過ちを重ねた者であっても、心からの信と決意があるならば、それは新たな善の始まりである。
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