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■引用原文(日本語訳)
私は儀式である。私は祭祀である。私はスヴァダーである。
私は薬草である。私は呪句である。私はアージュヤ(液状バター)である。
私は火である。私は火に焼べられた供物である。
(『バガヴァッド・ギーター』第9章 第16節)
■逐語訳(一文ずつ訳す)
- 私(バガヴァーン)は、
- 儀式(クリヤー)そのものであり、
- 祭祀(ヤジュニャ)そのものであり、
- 祖霊供養に用いられる供物スヴァダーであり、
- 聖なる薬草(生命を育む自然)であり、
- 聖なる呪句(マントラ)であり、
- 祭祀に使う液状バター(アージュヤ)であり、
- 火(アグニ)そのものであり、
- そして火に捧げられる供物(ハヴィ)でもある。
■用語解説
- 儀式(クリヤー):宗教的な行為・実践全体を意味する。行動そのもの。
- 祭祀(ヤジュニャ):神々への捧げもの。ヴェーダ時代から続く聖なる儀礼。
- スヴァダー(Svadhā):祖先への供養のために捧げる物。祖霊を喜ばせる象徴。
- 薬草(オウシャダム):命を支える自然の恵み。健康と治癒の象徴。
- 呪句(マントラ):聖なる言葉。祈り、波動、真理の音。
- アージュヤ(Ājyam):ギー(精製バター)の液状形。火中供物として捧げられる神聖な油。
- 火(アグニ):変容と浄化の象徴。祭祀の中心的存在。
- 供物(ハヴィ):神へと捧げられるあらゆる捧げもの。行為そのものとも言える。
■全体の現代語訳(まとめ)
私は、儀式や祈りの形式そのものでもあり、
そこに使われる供物や自然の恵みでもあり、
火やその捧げ物でさえ、すべて私自身である。
つまり、捧げる者・行為・対象のすべてに、私は宿っている。
■解釈と現代的意義
この節は、「神はあらゆる行為とその要素のすべてに内在する」という壮大な一体性の思想を語っています。
私たちが何かを“行う”とき、それが形式であれ物質であれ、精神であれ、すべてが神とつながっている――という視点は、「聖なる行為とは、心を込めてなされる日常すべてである」と拡張できます。
宗教的儀式だけでなく、食事、仕事、対話、奉仕――そのすべてに「神性」が宿るのです。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
すべての行動の尊さ | 日常の細かな作業、地味な仕事、支援的行動にも、目的と心が込められていれば価値がある。 |
関係性の全体性 | リーダー、チーム、目的、資源――それらはバラバラでなく、すべてが一体として動いていると認識する。 |
心を込めた働き | どんな仕事でも、意義や信念を込めて行えば、それ自体が「祈り」のような価値を持つ。 |
形式と本質の統合 | 会議・企画・報告といった形式的要素も、本質への貢献として意識的に行うことで、組織に力が宿る。 |
■心得まとめ
「捧げる者も、捧げられるものも、すべてが尊い」
神は形式にも実体にも宿り、行為する者にも、行為そのものにも宿る。
だから、何気ない仕事や習慣のすべてにも、心を込めれば神聖さが宿る。
ビジネスの場においても、「誰かのために」「何かを捧げるように」誠意を持って働くことで、すべての行為は価値あるものになる。
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