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善を超えて、本源に至れ


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■原文(日本語訳)

「ヴェーダ、祭祀、苦行、布施において功徳の果報が定められているが、ヨーギンはそのすべてを超越し、以上の教えを知って、最高なる本初の状態に到達する。」
――『バガヴァッド・ギーター』第8章 第28節


■逐語訳

ヴェーダにおいて定められた
祭祀・苦行・布施によって得られる功徳の果報を、
ヨーギンはすべて超越する。

そして、この教えを知っている彼は、
最高の、原初の状態に到達する。


■用語解説

  • ヴェーダ:インド最古の聖典。儀式、宇宙観、道徳などを含む。バラモン的な形式宗教の根本。
  • 祭祀(ヤジニャ):神々に供物を捧げる儀礼的行為。功徳を積む手段とされる。
  • 苦行(タパス):肉体・精神を制御し、徳を積む修行。
  • 布施(ダーナ):他者に与えること。徳の実践とされる。
  • 功徳の果報:これらの善行によって得られる天界の報い、もしくは再生における高位の存在。
  • 超越:果報を求める行為(カルマ)を超え、解脱の道(モークシャ)に入ること。
  • 本初の状態:プルシャ/ブラフマンと一体となる境地。無始・無終なる自己本来の姿。

■全体の現代語訳(まとめ)

ヴェーダにおいて、祭祀・苦行・布施などの善行には、功徳という果報が定められている。
しかしヨーガを修する者は、それらを超越し、
この章の教えを理解することにより、
最も高く、最も根源的な境地に達するのである。


■解釈と現代的意義

この節は、宗教的行為を超えた霊的成就を説いています。
以下の三点が重要です:

  1. 形式的な善行では不十分
     ヴェーダに定められた「正しい行い」も、果報(天国・来世)を求める以上は輪廻の中にとどまる。
  2. 本質の理解と実践が決定的
     教え(この章の内容)を理解し、自身に統合できた者は、根本的な存在(ブラフマン)に到達できる。
  3. 超越は否定ではなく昇華
     ヴェーダや善行は無意味なのではなく、それらを統合・昇華し、超えることで真の解脱に至るとされる。

■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と応用
形式より本質へどれほど「評価される行動」を積んでも、その動機が報酬目的ならば表面的。最終的には志・理念の実現が問われる。
成果を求めない奉仕与えた善の見返りを求めるのではなく、誠実に徹することが、自らを自由にし、本質的な信頼とつながる。
知識から統合へ理論や制度を知るだけでなく、深く理解し、行動・判断・姿勢にまで落とし込んだ人材が「超越」する。

■心得まとめ

「善行にとどまらず、真理に至れ」

儀式や形式を超えて、
動機の純粋性と本質の理解をもって、
人ははじめて自由となり、真の到達に至る。

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