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すべての領域に、真理は宿る――肉体を超えて内在する神性


■引用原文(日本語訳)

聖バガヴァットは告げた。
「被造物に関して、それは可滅の状態である。神格に関して、それはプルシャである。祭祀に関する者とは、この肉身における私に他ならない。」
――『バガヴァッド・ギーター』第8章第4節


■逐語訳

「被造物(アディブータ)とは、変化し滅びる存在のことをいう。
神格(アディダイヴァ)とは、プルシャ(至高の霊)である。
供犠(アディヤジナ)に関わる者とは、この身体に宿る私(クリシュナ)そのものである。」


■用語解説

  • 被造物(アディブータ)
     物質世界の構成要素。五大元素(地・水・火・風・空)など、可変・可滅の存在。
  • 可滅の状態(ヴィナシャトマカ)
     変化し、やがて崩壊・死を迎える性質を持つこと。すべての物質的なものがこれに属する。
  • 神格(アディダイヴァ)
     神的原理・天界的存在。自然や宇宙の法則を司る働き。ここでは「プルシャ」としての超越者を指す。
  • プルシャ(Puruṣa)
     宇宙の観察者・霊的主体。至高の存在としての神、あるいは永遠の魂。
  • 供犠に関する者(アディヤジナ)
     儀式や犠牲を受け取る神的主宰者。ここでクリシュナは「私がそれである」と明言している。

■全体の現代語訳(まとめ)

クリシュナは、

  • 「被造物(物質世界)」は移り変わり滅びゆくものであり、
  • 「神格」はプルシャという霊的・至高の存在であり、
  • 「祭祀の本体(供犠の主)」は、肉体を持って現れたこの私(神)そのものである、
    と明快に定義している。

■解釈と現代的意義

この節は、現象界の三つのレベルを明示している:

  1. 物質的次元(可滅・変化)
  2. 神的次元(永遠・霊的)
  3. 実践的次元(供犠・行動)

すなわち、私たちが「現実」と呼ぶものは本来、変化し滅びるものであり、真に不滅で霊的な原理(プルシャ)が内在している。そして、その神的原理は、実際に人間の身体(クリシュナ)として現れ、行為(供犠)を導いているのだと示されている。

これは、神は遠くにいるのではなく、「この身体」「この行為」「この瞬間」に宿るというメッセージでもある。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
本質と現象の理解製品や事業も形あるものはやがて消える(可滅)が、背後にある理念や志(プルシャ)は持続しうる。
リーダーの自覚「今ここでの行為」に神聖さを見いだせる人は、日常業務にも使命感を持って取り組むことができる。
組織文化儀礼的・形式的な活動の中にも「本質」が宿る。意味と精神を見失わなければ、日常が神聖な営みとなる。

■心得まとめ

「神は遠くにあらず。変わりゆく日常にこそ、永遠の真理は現れる」

現実世界のあらゆる物質はやがて滅びる。
だが、その背後にある原理・魂・目的は永遠である。
そのプルシャ(神性)は、私たちの身体にも、日々の行為にも宿っている。
だからこそ、日常の仕事・人との関係・小さな行動にこそ、最も高い意識で臨む価値がある。

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