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善行の果てに至る、真の信念と信愛


目次

■原文

しかし、善行の人々の罪悪が尽きる時、彼らは相対観の迷妄を脱し、強固な信念をもって*私を信愛する。
(第7章・第28節)


■書き下し文

しかしながら、善行をなす者たちの罪業尽きるとき、彼らは相対観の迷妄を離れ、堅固な信念をもって、我を信愛する。


■現代語訳(逐語/一文ずつ)

  • しかし、善行の人々の罪悪が尽きる時、
     → 善き行いを積み重ねてきた人々は、過去の悪しき業がすべて果たされるときに、
  • 彼らは相対観の迷妄を脱し、
     → 「好き/嫌い」「得/損」といった二元的な見方による錯覚から抜け出し、
  • 強固な信念をもって私を信愛する。
     → 揺るぎない確信をもって、私(至高神)への純粋な信愛を抱くようになる。

■用語解説

  • 善行の人々(プンヤ・クリターナーム):功徳ある行いをする者たち。道徳的に優れた行動を積み重ねた人々。
  • 罪悪(パーパ):過去に犯した過ちや悪しき行為のカルマ(業)。霊的成長の障害となる。
  • 相対観の迷妄(ドヴァンダ・モーハ):好き/嫌い、苦/楽、美/醜といった相対的な価値判断による錯覚。
  • 強固な信念(ドリダ・ヴラタ):動じない信仰と確信。
  • 信愛(バクティ):至高者への愛情をもった信仰。バクティ・ヨーガの核心。

■全体の現代語訳(まとめ)

善い行いを積み重ねてきた人々は、その報いとして過去の罪が消え去るときに、相対的な価値観に基づく迷いから脱し、揺るぎない確信と愛をもって神(クリシュナ)を信愛するようになる。


■解釈と現代的意義

この節は、霊的成長の段階を明確に示しています。

  1. 善行を積むことで、
  2. 過去の悪業が清算され
  3. 相対的な価値判断(迷妄)から自由になり
  4. 最終的に純粋な信仰と愛(バクティ)に至るという流れです。

ここでは、「迷妄を超えるには徳行が必要である」と説かれており、スピリチュアルな進化には、日々の選択や行動が深く関係していることがわかります。


■ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

  • 積み上げた誠実な行動が、やがてブレない信念につながる
     → 顧客や仲間との信頼関係、地道な努力の蓄積が、最終的には深い確信とブランドへの忠誠(信愛)を生む。
     → 「成果より信念が育つプロセスを大切に」
  • 過去の過ちも、正しい行動の継続で浄化できる
     → 一度の失敗や過ちで信頼を失っても、長期的に真摯な努力を続ければ再び信頼を取り戻せる。
     → 「時間をかけて浄化する、誠実の積立貯金」
  • 利害や損得から自由になって、理念や使命に生きる
     → 相対的な価値基準から抜け出し、「何のためにこの仕事をしているのか」という根本的な信念で判断する組織は強い。
     → 「理念経営の起点は、信愛と確信」
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