目次
■原文
幾多の生の最後に、知識ある人は、ヴァースデーヴァ(クリシュナ)はすべてであると考え、私に帰依する。そのような偉大な人は非常に得られ難い。
(第7章・第19節)
■書き下し文
多くの生を経たのち、知ある者は、「ヴァースデーヴァこそ一切なり」と悟りて、我に帰依する。そのような偉大なる者は、まことに得がたき者なり。
■現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 幾多の生の最後に、知識ある人は、
→ 数多くの輪廻転生を経て最終段階に至った者は、 - 「ヴァースデーヴァ(クリシュナ)はすべてである」と考え、
→ ヴァースデーヴァ(神クリシュナ)こそが万物の本質であり、すべてであると悟る。 - 私に帰依する。
→ そしてその神に完全に身をゆだね、信愛の心で帰依する。 - そのような偉大な人は非常に得られ難い。
→ このように悟りに達した高貴な人物は、世において非常にまれである。
■用語解説
- 幾多の生(バフーナーン・ジャナマーナーム):多くの輪廻転生・生涯。魂が学びを重ねる長い時間を指す。
- 知識ある人(ジュニャーニ):真理を知ろうと努力し、体得した智慧ある者。
- ヴァースデーヴァ(Vāsudeva):クリシュナの異名。至高神・全存在の本質を意味する。
- 帰依(プラパッディ):自己を明け渡し、信じてゆだねること。
- 偉大な人(マハートマ):高次の魂をもつ覚者・聖者。
■全体の現代語訳(まとめ)
多くの生を重ねた末に、知恵ある人は「クリシュナ(ヴァースデーヴァ)こそがすべてである」と悟り、心から帰依する。このような偉大な魂は非常に稀である。
■解釈と現代的意義
この節は、真の悟りや全一性の認識は一朝一夕では得られず、長い魂の旅の果てに到達するものであると説いています。知識や修行の積み重ねの中で、分離ではなく「一体性(すべてが神である)」の理解に至った人こそが、本当の意味で信愛の帰依者となると説きます。
■ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 真の理念理解者は、長期的な経験と内面的成熟から生まれる
→ 組織や事業の核心理念に心から共鳴する人材は、短期間では育たず、長い経験と学びを経て到達する境地である。
→ 「理念は知識の積層の果てに血肉化される」 - 「全体を理解した者」だけが本当に帰依できる
→ 全体像(ビジョン・戦略・使命)を深く理解した者は、部分にとらわれず、自己の役割と意味を悟って動くことができる。
→ 「全体性の視座が、真の信頼と貢献を生む」
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