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執着なき行動者こそ、本物の修行者


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■引用原文(日本語訳)

聖バガヴァットは告げた。
「行為の結果にこだわらず、なすべき行為をする人は、放擲者でありヨーギンである。単に祭火を設けず、行為をしない者は、そうではない。」
(『バガヴァッド・ギーター』第6章 第1節)

※補注:「放擲者(サンニャーシン)」とは、行為の執着を放棄する者。「ヨーギン」とは、ヨーガの実践者。


■逐語訳(一文ずつ)

  • 聖なる主(バガヴァーン)は言った。
  • 行為の結果を求めず、義務として行為を果たす者は、真の放擲者であり、ヨーギンである。
  • ただ祭火を設けず(儀式をせず)、また行為を行わないだけの者は、放擲者でもヨーギンでもない。

■用語解説

  • 放擲者(サンニャーシン):行為そのものではなく、結果への執着を捨てた人物。単に行動をやめる者ではなく、行動の中で執着を手放した者を指す。
  • ヨーギン:ヨーガの実践者。ここではとくに「カルマ・ヨーガ」(行為を通じて精神性を高める道)を生きる者の意味。
  • 祭火を設けず(アグニホートラ):ヴェーダ的儀式をしない、という外面的な行為放棄。
  • 行為をしない者:世俗的責任から逃れ、何もしないことを「放棄」と勘違いしている人。

■全体の現代語訳(まとめ)

本当の意味で行為を放棄した人とは、行動そのものを捨てた人ではなく、その結果への執着を捨て、なすべきことを淡々と行う人である。見た目だけ儀式を避けたり、行為をやめたりしても、それは放棄ではない。


■解釈と現代的意義

この節は、「真の修行とは見かけや形式ではなく、内面の態度によって決まる」という教えです。
多忙な現代において、「もう働きたくない」「関わりたくない」と思って手を引くことは簡単ですが、それは解脱でも悟りでもない。むしろ、責任ある行動をとりながら、執着を持たずにいることのほうが、遥かに困難で価値があるのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と適用例
本質的なプロフェッショナリズム結果(売上・昇進)に縛られず、仕事そのものに誠実である人が、真のプロフェッショナル。
働き方改革ただ残業をやめること、職場を離れることが「放棄」ではない。真に問われるのは、執着を減らして質を高める姿勢。
部下指導・人材育成形式や手順にとらわれず、本質を伝え、行動に責任を持つよう促す指導が求められる。
禅的リーダーシップ意図・成果に囚われずに行動する人は、周囲に安心と安定を与える存在となる。

■心得まとめ

「動かず悟るより、動きながら超越せよ」
何もしないことは簡単だ。しかし、それは修行ではない。働きながら、関わりながら、なおその結果に心を縛られない人こそ、真の修行者でありリーダーである。行動の中でこそ、執着を手放す修行は深まっていく――それがギーターの教えです。

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