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■引用原文(日本語訳)
「身体より生ずる*これらの三要素を超越してから、主体(個我)は、生老死苦から解放されて、不死に達する。」
(第14章 第20節)
*三要素=純質(サットヴァ)・激質(ラジャス)・暗質(タマス)
*不死=輪廻(生まれ変わり)の束縛から解放された永遠の自由な状態
■逐語訳
この身体に由来する三つのグナ(性質)――純質・激質・暗質――を超越したとき、
自己(アートマン、プルシャ)は、生・老い・死という苦しみの束縛を離れ、
不死なる存在(永遠の自由)に至る。
■用語解説
- 三要素(guṇān):自然界を構成する三つの性質。サットヴァ(純質)・ラジャス(激質)・タマス(暗質)。いずれも束縛を生む原因。
- 身体より生ずる(dehasamudbhavān):グナは物質的身体(自然の作用)に属するものであり、真我には本来無関係。
- 主体(個我、ātman / puruṣaḥ):不変の真我。観る者、意識そのもの。
- 生老死苦(janma-mṛtyu-jarā-duḥkhaiḥ):人間の生に付きまとう輪廻的苦しみ。仏教の「四苦」とも通じる概念。
- 不死(amṛtam):死を超えた存在状態。束縛のない、真の自由な生命。
■全体の現代語訳(まとめ)
身体に備わる三つの自然の性質(純質・激質・暗質)を超えたとき、
魂(個我)は、生まれ、老い、死に、苦しむという永遠の循環から解き放たれる。
そして、死を超えた自由――不死の境地に到達する。
■解釈と現代的意義
この節は、『バガヴァッド・ギーター』第14章の総まとめともいえる内容です。
どれほど純質が優れていようと、それはまだ「性質=グナ」の範疇にあります。
真の自由とは、サットヴァ(善)さえも超えて、すべての束縛から抜け出すことなのです。
つまり、「良くあること」「成果を出すこと」「静かでいること」さえ、
それに“囚われている”限りは、まだ自由ではない。
三つの性質をただ「観る」者として生きること――そこに真の解放があります。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
あらゆる性質の超越 | 勤勉さ(サットヴァ)、情熱(ラジャス)、怠惰(タマス)すらも“自分”とは切り離して見つめる目を持つと、冷静で自由な行動がとれる。 |
状況反応の脱却 | 怒り・焦り・惰性・義務感といったグナ由来の反応ではなく、意識的選択をベースに行動できる人は、真に信頼される。 |
生老病死=変化の受容力 | 事業・人材・環境の“生成と変化”を冷静に見つめ、動じず対応できることは、リーダーシップの極意である。 |
真のリーダーシップ | 組織内の「熱さ(激質)」や「惰性(暗質)」や「正しさ(純質)」に呑まれず、俯瞰しながら場を導ける者が、時代を超える存在となる。 |
■心得まとめ
「性質を超えたとき、真の自由が始まる」
行為・感情・思考――それらを生む“性質”を超えて、
ただ静かに見つめる者になれ。
純質でさえも執着となりうる。
あらゆる執着と反応を手放したとき、
人は“死なない者”――自由な存在として、
この人生を生き始めるのだ。
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