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見返りを求めず、心を尽くす修行が、魂を清める

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■引用原文(日本語訳)

「人々が果報を期待せず、専心して、最高の信仰をもって、三種の苦行を行った場合、それを純質的な苦行と称する。」
――『バガヴァッド・ギーター』第17章 第17節

■逐語訳

もし人が、報酬(果報)を望まず、
心を集中して(アナーヴィシャンディヤ)、
至高の信仰(シュラッダー)をもって、
身体・言葉・心――三つのレベルでの苦行(タパス)を実践するならば、
そのような苦行は**純質的(サットヴァ)**なものとされる。

■用語解説

  • 果報(ファラ):修行の結果としての名声・利益・評価など、外的な報い。
  • 専心(アナーヴィシャンディヤ):心を一つにして行う。雑念を離れ、集中している状態。
  • 信仰(シュラッダー):揺るぎない信頼と敬意をもって実践する姿勢。理屈より深い魂の確信。
  • 三種の苦行(タパス):身体的(行動)、言語的(言葉)、心的(内面)の3つの領域での修行。
  • 純質(サットヴァ):清浄、智慧、平和、誠実といった高次の性質。

■全体の現代語訳(まとめ)

人が修行(苦行)を、見返りを求めず、心を一つにして、誠実で深い信仰をもって行うとき――
その行いは、魂を清め、高める「純質的な修行」とされる。
それは、形式や評価ではなく、内的な純粋性が問われる行動である。

■解釈と現代的意義

この節は、「どんな修行・努力であっても、その価値は動機と姿勢に宿る」ことを強調しています。
身体を整え、言葉を慎み、心を清めることは本質的な修行ですが、それが**見返りのため(名誉・成功・評価)**であれば、純質とは言えません。
むしろ、報いを期待せず、集中して、敬意を持って行われる努力こそが、真の精神修養なのです。

■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
日々の仕事が修行となる雑務・地味な作業であっても、誠実に・集中して・見返りを期待せず行えば、それは純質的な修行となる。
成果を超えた価値観成功や承認を求めすぎると不安定になるが、「行うべきことに心を尽くす」という姿勢は、人間としての安定と成長につながる。
プロ意識の本質「これは私の責任」「意味があるからやる」という心からの信念が、真のプロフェッショナルを育てる。
信頼と精神性純質的な仕事の姿勢は、目に見えずとも必ず信頼と敬意を生み、長期的には強い人間関係や成果につながる。

■心得まとめ

「見返りを手放し、心を込めて行えば、それはもはや仕事ではなく、修行である」

身体・言葉・心を整え、誠実に努力し続けること――それは静かながら最も強い修行であり、人格と魂を磨く道である。
ビジネスの現場でも、見返りを求めず、誠心誠意尽くす人は、最も深く信頼される存在となる。

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