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見せかけの行為は、内なる激しさの証となる

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■引用原文(日本語訳)

「一方、果報を意図して、偽善のために祭祀を行う場合、それを激質的な祭祀であると知れ。」
――『バガヴァッド・ギーター』第17章 第12節

■逐語訳

もし誰かが、見返り(果報)を意図して、
または他人の目を意識した偽善(ダンバ)から祭祀を行うならば、
そのような祭祀(ヤッニャ)は、激質(ラジャス)に属するものと知るがよい。

■用語解説

  • 果報(ファラ):祭祀や行為の見返りとして期待される報酬・功徳・利益。
  • 偽善(ダンバ):外面では善を装いながら、内心では利己的な目的を抱く行為。
  • 激質(ラジャス):欲望、野心、栄光欲などを特徴とする、熱く不安定な心の性質。
  • 激質的な祭祀:真理よりも、自己利益・名声・評価を目的として行われる宗教的・道徳的行動。

■全体の現代語訳(まとめ)

報酬や名声を期待して行われる祭祀は、たとえ儀式として立派に見えても、内面的には激質に染まっている。
それは真の敬虔さではなく、「利得」と「見せかけ」を目的とした行動であり、魂の成長にはつながらない

■解釈と現代的意義

この節は、善行の「動機」にこそ、その本質があるというメッセージを伝えています。
他人の評価を気にして行う行為、功徳や利益のためだけの“善”――それは表面的には立派に見えても、実際には自己中心的であり、真の成長や心の清らかさとは無縁です。
現代社会における「善意の演出」「自己PRとしての寄付・奉仕」などにも、この視点は強く当てはまります。

■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
表面的な行動主義表向きは倫理的・社会的な活動でも、その動機が“企業イメージの向上”や“評価”にあるならば、それは激質的で持続性に乏しい。
CSRや社会貢献活動社会のためではなく“株主向けのアピール”として行われる活動は、信頼を深めるどころか見透かされ、逆効果になることもある。
リーダーの姿勢部下の前でだけ熱心に働くリーダーや、「上司への印象」のための努力は、真の影響力を持たない。
自己プロモーション型行動「良く思われたい」「称賛されたい」という欲望からの発言・行動は、やがて信頼を失い、空虚な評価を招くだけに終わる。

■心得まとめ

「誠実さは、見えないところに宿る」
祭祀(祈り・行為)の価値は、行為そのものではなくそれをなぜ行うかにある。
見返りや賞賛を求めて行う“善”は、激質的なものであり、魂の成熟には結びつかない。
ビジネスにおいても、表面的な努力ではなく、誠意と無私の精神が、真の信頼と影響力を生む

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