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自他を害する修行は、闇に堕ちた意志の証である

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■引用原文(日本語訳)

「無思慮で、身体に存する元素の群や、身体の内部に宿るこの私を悩ます人々、彼らを阿修羅的な決意を持つ者と知れ。」
――『バガヴァッド・ギーター』第17章 第6節

■逐語訳

思慮なく、肉体を構成する自然元素の群れ(地・水・火・風・空)や、
肉体に宿る「私(アートマン)」を苦しめるような者たちは、
阿修羅(悪魔的)な決意(ニヤタ)を持つ者であると知るがよい。

■用語解説

  • 無思慮(アブッディ・プールヴァカ):知性を欠いた、熟慮のない状態。自他の害を顧みない。
  • 身体に存する元素(ブータ・ガナ):人間の身体を構成する五大元素(地・水・火・風・空)など。
  • 身体の内部に宿るこの私(アハン):肉体の奥にある真我(アートマン)、本質的自己。
  • 阿修羅的な決意(アスラ・ニヤタ):徳に反する頑なな意志。破壊的・反道徳的な信念をもつ心の傾向。

■全体の現代語訳(まとめ)

クリシュナは、身体や魂を痛めつけるような極端で破壊的な修行や禁欲行為に走る人々を、「阿修羅的な意志を持つ者」だと断じている。
それは、真理への探究ではなく、自我と破壊衝動によって突き動かされた愚かなる行為であり、霊的にも倫理的にも誤った道である。

■解釈と現代的意義

この節は、自己破壊的な努力や禁欲行為が「悪魔的意志」に根ざすものであることを明確に否定しています。
極端な断食・過労・自罰的修行――いずれも「自分を苦しめることで悟りに近づける」という誤解に基づいています。
しかしそれらは、自己否定でもあり、神(アートマン)を内に宿す存在への冒涜でもあります。
現代にも見られる「過剰な自己犠牲」や「苦しみに酔う努力」は、実は阿修羅的=闇の性質に引き込まれた精神状態なのです。

■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
自己犠牲の美化過剰な残業・無理な成果主義・限界を超える根性論など、「自分を痛めつける」努力は美徳ではなく、組織文化の病。
精神的健康の軽視心身を壊すまで仕事に没頭する人は、「使命感」ではなく「阿修羅的な執念」に支配されている場合もある。
健全なリーダー像自他の尊厳や健康を守らず、無理を強いるリーダーは、実は内に暴力的信念を抱える支配者である可能性がある。
内なる価値観の見直し自分を責め続ける傾向や、「苦しむことで価値がある」という思い込みを見直すことが、成長と癒しの鍵。

■心得まとめ

「自らを痛めつける信念は、善ではなく、闇から来る」
心身を破壊するような極端な修行や努力は、真理の道ではなく、阿修羅(欲と怒り)の支配する道である。
現代のビジネスにおいても、「自己犠牲」や「限界突破」が称賛される場面は多いが、それが自他の尊厳や生命力を損なうならば、それは善ではなく過ちである
真のプロフェッショナリズムは、自他を尊重しつつ、内なる静かな力で道を進むことである。

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