孟子は孔子の言葉を引用しながら、**最も警戒すべき人間像=郷原(偽善者)**について鋭く論じている。
この章は、「志が大きすぎて空回りする“狂者”」「孤高で潔癖な“獧者”」に続き、
最も社会的には“善人”に見えるが、実はもっとも徳を傷つける存在=郷原を批判したものである。
孔子の言葉
「我が門を通っても、我が室に入らずとも、私は憾みに思わぬ。
その者が“郷原”であるならば。郷原は、徳を損なう賊(ぞく)だからである」
郷原とはどんな人か?
孟子は、郷原を以下のように描写する:
1. 狂者に対してこう言う:
- 「どうしてあのように志ばかり高く掲げて、大言壮語するのだ」
- 「言うことと行いが一致していないじゃないか」
- 「“古の人、古の人”と唱えるが、まるで自分の現実とは無縁だ」
→ 志ある者を、現実的でないと批判し、理想の追求を笑う
2. 獧者に対してこう言う:
- 「どうしてあんなに頑固で孤立しているのだ」
- 「この世に生まれたからには、世の人のようにふるまい、人から“善い人”と思われれば十分ではないか」
→ 真っ直ぐで孤高な道徳の実践者を、融通の利かない偏屈者として見下す
3. 自分自身はどうするか?
- 本心を隠し、世間に合わせ、常に**“無難で感じの良い人”**を演じる
- 結果、誰からも好かれ、咎められることもない
→ しかし孟子は断言する:
「このように、“閹然(えんぜん)として世に媚ぶる者”――これこそが郷原である」
郷原の本質と危険性
郷原とは、徳を装って周囲の信頼を集めるが、その実、真の志も正義も持たない者である。
社会の秩序や善を破壊する「盗人」よりも、**「徳の賊」**として、より深刻に害をなすと孔子も孟子も考えた。
これは現代に通じるメッセージでもある。
表面だけ善人を装い、どの立場にも合わせて迎合しながら、核心的な責任は果たさない――
そうした態度こそが、真に正義と徳を腐らせるものなのだ。
引用(ふりがな付き)
「孔子(こうし)曰(いわ)く、我(わ)が門(もん)を過(す)ぎて我が室(しつ)に入(い)らざるも、我(われ)焉(これ)を憾(うら)みざる者は、其(そ)れ惟(た)だ郷原(きょうげん)か。
郷原は、徳(とく)の賊(ぞく)なり、と。
曰く、何如(いか)なれば斯(こ)れを郷原と謂(い)うべきか。
曰く、狂者(きょうしゃ)には『なにを嘐嘐然(こうこうぜん)として大言を吐くのか』と言い、
言(げん)に行(こう)を顧(かえり)みず、行に言を顧みず、古(いにしえ)の人ばかりを語る。
獧者(けんしゃ)には『どうしてあんなに独(ひと)りよがりで孤独(こどく)なのか。
この世に生まれたならば、この世に従い、善人と評されればそれでよいではないか』と言う。
閹然(えんぜん)として世(よ)に媚(こ)ぶる者(もの)は、是(こ)れ郷原なり」
注釈
- 郷原(きょうげん):外面は善人、内面は真の徳を持たぬ偽善者。
- 嘐嘐然(こうこうぜん):高く大げさに語るさま。
- 踽踽涼涼(きょきょりょうりょう):孤立して寂しく生きるさま。獧者の象徴。
- 閹然(えんぜん):本心を押し殺し、世間に媚びへつらう態度。
パーマリンク(英語スラッグ)
beware-of-virtuous-fakes
偽の善人、偽の徳者を警戒せよという教訓的スラッグです。他の案:
- the-worst-is-who-seems-best
- smiling-hypocrites-hurt-virtue
- false-virtue-true-harm
孟子の人間観の深みが凝縮された章であり、「誰とともに道を歩むか」の重要性と、それを見抜く力の必要性を教えてくれます。
1. 原文
孔子曰、我門而不入我室、我不憾焉者、其惟鄕原乎。
鄕原、德之賊也。
曰、何如斯可謂之鄕原矣。
曰、何以是嘐嘐也。
言不顧行、行不顧言。
則曰、古之人、古之人。
行何爲踽踽涼涼。
生斯世也、爲斯世也、善斯可矣。
閹然媚於世也者、是鄕原也。
2. 書き下し文
孔子(こうし)曰(いわ)く、我(われ)が門(もん)を過(す)ぎて我が室(しつ)に入(い)らざるも、我れ焉(これ)を憾(うら)みざる者は、其(そ)れ惟(こ)れ郷原(きょうげん)か。
郷原は、徳(とく)の賊(ぞく)なり。
曰く、何如(いか)なれば斯(ここ)に之(これ)を郷原と謂(い)うべき。
曰く、何(なに)を以(もっ)て是(これ)嘐嘐(こうこう)たるや。
言(げん)に行(こう)を顧(かえり)みず、行に言を顧みず。
則(すなわ)ち曰(い)わく、「古(いにしえ)の人、古の人」と。
行い何為れぞ踽踽(きょきょ)涼涼(りょうりょう)たる。
斯(こ)の世(よ)に生(う)まれては、斯の世なり。
善せらるれば斯に可なり、と。
閹然(えんぜん)として世に媚(こ)ぶる者は、是れ郷原なり。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「私の家の門を通り過ぎて、部屋に入らない者がいても、私はそれを恨まない。それはおそらく郷原だけであろう。」
→ 表面的に礼儀正しいが、内面の誠実さがない人間は信用しない。 - 「郷原は徳の賊である」
→ 郷原は一見道徳的に見えるが、実は真の徳を損なう存在である。 - 「どういう人を郷原と呼ぶのか?」
- 「なぜこれほど外見ばかり整えているのか?言葉と行動が一致しない。」
- 「言うことに行動が伴わず、行動にも言葉の裏付けがない。」
- 「それでも“古の人のようだ”と自称する。」
- 「その行動は踽踽(孤独に歩む)としていて、涼涼(冷めた)ように映る。」
- 「この世に生まれたからには、世に従って生き、褒められるようにすればそれでよいのだ、と。」
- 「このように宦官(=閹然)のように、世間に媚びへつらう者こそ、郷原なのである。」
4. 用語解説
- 郷原(きょうげん):村の模範とされるような人物。一見、道徳的に見えるが、内面の誠実さや信念が欠如している人物を指す。
- 徳の賊:徳を装いながら、実際には徳の本質を破壊する存在。
- 嘐嘐然(こうこうぜん):口数が多く、うわべばかり整ったさま。
- 踽踽涼涼(きょきょりょうりょう):孤独で冷淡なさま。中身が伴わない道徳ぶった行動。
- 閹然(えんぜん):宦官のように、媚びへつらう、節操のない様子。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孔子は言った:
「私の門を通りながら私の家に立ち寄らない者がいても、私は怒らない。
ただ、それが“郷原”であれば、別である。
郷原は、徳の仮面をかぶった徳の敵だ。」
「どんな人が郷原なのか?
言うこととすることが一致せず、うわべだけは“古の人のように見せかける”。
実際の行動を見れば、孤独で冷たく、中身の伴わない形式だけの人間である。
『この世に生まれたのだから、この世に従えばいい。人に褒められさえすればいい』
というような姿勢で、世間に媚びて生きている。
それこそが“郷原”という人間である。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「表面的な道徳と、内面の真実とのギャップ」**を鋭く指摘した、孔子らしい名言です。
- 郷原とは、一見立派そうに振る舞うが、心の中に誠実さ・信念・勇気が欠けている人物を指します。
- 彼らは「古の道徳」を口にしながら、実際には保身や世間体で動いているだけであり、真の徳の敵です。
- 孔子は、こうした「善人の仮面をかぶった人物」を、最も警戒すべき対象と見なしていたのです。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
「表面的な“いい人”に要注意」
- 社内外において、**波風立てないが実質的な成果も出さない“無害な顔した無責任者”**は、組織の足を引っ張ります。
- 彼らは一見“協調的で信頼できそう”に見えるが、リスクを取らず、責任も取らないため、真に信頼するには危険。
「評価されることを目的とした行動は信頼されない」
- 「褒められるために働く人」は、上司や評価者の顔色をうかがうばかりで、顧客や同僚にとっての本質的な価値を見失う。
- **“善く見られたい”のではなく、“善くありたい”**という志向こそが、信頼と継続的成果を生む。
「“徳の賊”を避け、“本物の志”を見極めよ」
- 採用・評価・昇進などでは、表面だけでなく、一貫した言行・実直な行動の蓄積を評価基準とする必要がある。
8. ビジネス用の心得タイトル
「善人の仮面に惑わされるな──“徳の賊”より、本物の信義を見抜け」
この章句は、**「誠実さとは何か」「道徳をどう実践するか」**という本質的な問いに立ち返らせてくれます。
コメント