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教育は、強制ではなく自由な選択の上に立つべきである

孟子は、異なる思想や立場を持つ者を受け入れる寛容な姿勢の重要性を説いている。
彼は、儒学に至るまでの思想的な流れを次のように整理する:

  1. 墨子の学派(兼愛・節用を重視)を学ぶ者が、その非を知れば…
  2. 次に楊朱の学派(利己主義的な快楽追求)に移り…
  3. その非を知ったとき、最終的に儒学に至る

孟子は言う:
「その者が儒に帰ってきたなら、それで受け入れればよい。ただそれだけでいい」

ところが、今の論者たちは違う。彼らは墨家や楊朱学派の者を相手に議論しながら、
まるで“逃げた豚を追って囲いに戻したあと、なおその足を縛るような”態度をとっていると批判する。

孟子がここで譬えに使った「放豚(ほうとん)」とは、
**「既に自分の陣営に戻ってきた者を、なお疑いの目で見て縛ろうとする」**ような不寛容な態度を象徴している。

つまり、思想の自由な選択を尊重し、受け入れた以上は信じて委ねることが真の教育である
議論や論破に重きを置くのではなく、信条が変わるのも人間の自然な過程として大らかに受けとめる寛容の精神こそが、孟子の教育観なのだ。


引用(ふりがな付き)

「孟子(もうし)曰(いわ)く、墨(ぼく)を逃(のが)るれば、必(かなら)ず楊(よう)に帰(き)し、楊を逃るれば、必ず儒(じゅ)に帰す。帰すれば、斯(ここ)に之(これ)を受(う)けんのみ。今(いま)の楊・墨(よう・ぼく)と弁(べん)ずる者(もの)は、放豚(ほうとん)を追(お)うが如(ごと)し。既(すで)に其(そ)の苙(おり)に入(い)れば、又(また)従(したが)って之(これ)を招(つな)ぐ」


注釈

  • 墨子の学派…「兼愛(無差別の愛)」や「節用(倹約)」を重視する思想。儒学とは対立的。
  • 楊朱の学派…「我が身を愛す」を基本とした利己的な思想。快楽主義的な傾向を持つ。
  • …孔子の道を継ぐ儒家思想。仁・義・礼・智を重んじる。
  • 放豚(ほうとん)…逃げた豚。ここでは「逃げていた者=異なる思想を持っていた人」の喩え。
  • 苙(おり)に入る…囲いに入る、帰順することの喩え。
  • 招(つな)ぐ…ここでは豚の足をさらに縛ること。転じて、無用な拘束・押し付けの意味。
目次

1. 原文

孟子曰、墨必歸於楊、楊必歸於儒、歸斯受之而已矣。
今之與楊・墨辯者、如放豚、既入其苙、又從而招之。


2. 書き下し文

孟子(もうし)曰(いわ)く、墨(ぼく)を逃(のが)るれば必(かなら)ず楊(よう)に帰(き)し、楊を逃れば必ず儒(じゅ)に帰す。
帰すれば斯(ここ)に之(これ)を受けんのみ。
今(いま)の楊・墨と弁(べん)ずる者は、放豚(ほうとん)を追(お)うがごとし。既(すで)に其(そ)の苙(れき)に入(い)れば、又(また)従(したが)って之を招(まね)ぐ。


3. 現代語訳(逐語訳/一文ずつ訳)

  • 孟子曰、墨必歸於楊、楊必歸於儒
     → 孟子は言った。「墨家の思想を離れれば必ず楊朱の思想に行き、楊朱の思想を離れれば最終的には儒家に帰着する。」
  • 歸斯受之而已矣
     → 「儒家に帰ってきたならば、こちらはその人を受け入れるだけだ。」
  • 今之與楊・墨辯者、如放豚、既入其苙、又從而招之
     → 「今、楊朱・墨子の学派と論争をしている者は、あたかも豚を放して追い、すでに柵の中に入っているのに、さらに後ろから呼びかけているようなものだ。」

4. 用語解説

  • 墨(ぼく):墨家。兼愛・非攻を主張したが、孟子からは過激で形式的と批判された。
  • 楊(よう):楊朱。利己主義・個人の生を最重視した思想家。「我が身を損なわず」が信条。
  • 儒(じゅ):儒家。孔子を祖とし、仁・礼を中心とする道徳思想。
  • 放豚(ほうとん):豚を放す、あるいは追い放つこと。
  • 苙(れき):柵で囲った豚小屋。逃げた豚を戻す囲い。
  • 招ぐ(まねぐ):呼び寄せる。呼びかける。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

孟子はこう語った:

「墨家を否定すれば次は楊朱の思想に行き着き、楊朱を否定すれば最終的には儒家に戻ってくる。
だから、儒家に戻ってきた者を私たちはそのまま受け入れればよい。

だが、いま楊家・墨家と議論している者たちは、まるで逃げた豚を追いかけ、すでに囲いの中に入ったのに、なおも後ろから呼びかけているようなものだ。
つまり、無意味な議論を延々と続けている。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、**「思想や信念の自然な帰着点は儒家(=道徳的秩序)」**であるという孟子の自信を表しています。

  • 墨家(極端な博愛)を否定すると、反動で個人主義(楊朱)に走りがち。
  • しかし、最終的には個人主義の限界に気づき、バランスある儒家に帰ってくる。
  • つまり、極端な思潮を経て、人は自然と「中庸・倫理・仁」に目覚めるというのが孟子の立場。

そして、重要なのは後段――
**「論争ばかりしていても意味がない。既に戻ってきたなら黙って受け入れよ」**という、柔軟で実践的な姿勢を説いています。


7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

「極論は循環し、やがて本質に戻る」

  • 極端なルール主義(墨)や利己主義(楊)を経た人でも、最終的には“人としての信頼や秩序”に戻る。
  • 若い社員や新任者が、原理主義的な主張や極論を言っても、長期的には組織の本質に近づくことを信じて待つ姿勢が必要。

「議論より受容」

  • 意見の対立を永遠に論じるよりも、相手が態度を変えたならそれを素直に受け入れる包容力が重要。
  • たとえば過去に批判的だった社員が考えを変えて歩み寄ってきたら、「あのときはこうだったよね」と追い打ちせずに受け入れることが成熟した組織の姿勢。

「無駄な議論を手放す勇気」

  • 論理的に勝ちたいがゆえに、すでに解決している問題を掘り返すのは“放豚をまた呼び戻す”のと同じ。
  • 時には成果と変化を受け入れ、前に進む判断が必要。

8. ビジネス用の心得タイトル

「議論より受容──帰ってきた心を黙って迎えよ」


この章句は、「論理的勝利よりも、共通の本質に立ち返る実践的な姿勢」が大切であることを説いています。

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