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学びも徳も、怠ればすぐに塞がる

孟子は、弟子の高子に対して、学問や修養を怠る危うさを比喩的に語っている。
彼はこう言った:
**「山の中の小道も、通い続けていれば道となるが、しばらく使わなければすぐに茅(かや)が生い茂って塞がれてしまう」**と。

同様に、人の心も修養を怠れば、すぐに雑念や怠惰という“茅”によって覆い尽くされ、せっかく培った道が見えなくなってしまう
孟子は、今の高子の状態を、「心が茅で塞がれている」と直言している。

これは、学びや善行は一朝一夕に完成するものではなく、日々の継続的な積み重ねによって保たれるものだという教訓である。
学びは止まれば後退する。行いも磨かなければ鈍る。
まさに孟子の言葉は、「習慣が人をつくる」ことの真理を、自然の風景になぞらえて伝えている。


引用(ふりがな付き)

「孟子(もうし)、高子(こうし)に謂(い)いて曰(いわ)く、山径(さんけい)の蹊(みち)、間(しばら)く介然(かいぜん)として之(これ)を用(もち)うれば、路(みち)を成(な)す。間く用いざるを為(な)せば、則(すなわ)ち茅(かや)之(これ)を塞(ふさ)ぐ。今(いま)や茅、子(し)の心(こころ)を塞げり」


注釈

  • 高子(こうし)…孟子の弟子の一人。途中で他の学派に関心を持ち、離れた人物。
  • 蹊(みち)…踏みならされた小道。使えば道となり、使わなければ塞がる。
  • 介然(かいぜん)…まじめに・継続してという意味合いを持つ語。
  • 茅(かや)…雑草の一種だが、ここでは怠惰・雑念・習慣の崩れなど、心を曇らせるものの象徴。
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