孟子は、国を去るときの態度には「道=節度・礼儀」があると説き、孔子の具体的な行動を通してその意義を語っている。
孔子が故郷である魯(ろ)国を去るとき、こう言った。
「遅遅として、吾行く(ちちとして、われゆく)」。
これは、まるで名残を惜しむかのように、歩みを重くして去ったことを意味する。
なぜなら、魯は父母の国、すなわち生まれ育った故郷だからだ。そこを離れるには、深い情と敬意をもって慎重に行動すべきだという姿勢が込められている。
一方で、斉(せい)国のような他国を去る際には、孔子は**「水に浸していた米を手で引き上げてすぐに出発した」**。
これは食事の準備すら途中で切り上げて、ためらわず即時に行動したという意味であり、
「他国」との関係においては、必要とあらばきっぱりと決断し、ためらいなく身を引くのが礼であると孟子は示している。
この章は、個人と共同体との関係性に応じて、態度や行動に「けじめと敬意」をもって接するべきという儒教的な礼の精神を伝えている。
引用(ふりがな付き)
「孟子(もうし)曰(いわ)く、孔子(こうし)の魯(ろ)を去(さ)るや、曰(いわ)く、『遅遅(ちち)として吾(われ)行(ゆ)く』。父母(ふぼ)の国(くに)を去(さ)るの道(みち)なり。斉(せい)を去(さ)るや、淅(あら)いを接(と)りて行(ゆ)く。他国(たこく)を去(さ)るの道(みち)なり」
注釈
- 遅遅として吾行く…しぶしぶ、足どり重く去る。心残りや敬意が込められた表現。
- 父母の国…生まれ育った故郷(ここでは孔子の故国・魯)。親に準ずる敬意を払う対象。
- 淅を接して行く…米を水にさらしていた途中で、手で掬って出発したという意。何のためらいもなく行動することの比喩。
- 他国…自国以外の国。儒教においては、出自によって国との関係の深さが異なる。
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