比較には、正しい基準と全体像が必要だ
孟子は、屋廬子が答えに窮した議論について、「答えるのは難しくない」と言った。
物事を比べる際に、根本(本質)ではなく、末端(細部)だけを比べると、本来の価値を見失う。
たとえば、一寸(いっすん)四方の小さな木でも、細く高く伸ばせば山の上の楼閣より高くできるし、金属が羽より重いという話も、わずかな金と大量の羽を比べれば、羽の方が重くなる。そんなのは、比べ方がおかしいのだ。
同じように、命に関わる深刻な「食」の問題と、「食事の礼」など些細な「礼」を比べれば、そりゃ食の方が重く見える。
結婚が人生にとって大きな意味を持つのは当然だが、それと「親迎の礼」とを比べて、礼は不要だというのも飛躍している。
だから孟子はこう言った――
「もし兄のひじをねじれば食が得られるが、ねじらなければ飢えるとしたら、ひじをねじるのか? 隣の家の垣根を越えて娘をさらえば妻が得られるが、そうしなければ得られないとしたら、本当にさらうのか?」
極端な例で倫理を崩そうとする議論には、倫理の根本を問うて返すべきなのだ。
原文と読み下し
孟子曰、於答是也何有、不揣其本而齊其末、方寸之木、可使高於岑樓、金重於羽者、豈謂一鉤金、與一輿羽之謂哉、取食之重者、與禮之輕者、而比之、奚翅食重、取色之重者、與禮之輕者、而比之、奚翅色重、應之曰、紾兄之臂而奪之食則得食、不紾則不得食、則將紾之乎、踰東家牆而摟其處子則得妻、不摟則不得妻、則將摟之乎。
孟子(もうし)曰(いわ)く、「是(これ)に答(こた)うるに於(お)いてや何(なに)か有(あ)らん。其(そ)の本(もと)を揣(はか)らずして其の末(すえ)を斉(ひと)しゅうせば、方寸(ほうすん)の木(き)も、岑楼(しんろう)より高(たか)からしむべし。
金(きん)は羽(はね)より重(おも)しとは、豈(あ)に一鉤(いっこう)の金と、一輿(いちよ)の羽との謂(いい)を謂(い)わんや。
食(しょく)の重(おも)き者と、礼(れい)の軽(かる)き者とを取りて、之(これ)を比(くら)ぶれば、奚(なん)ぞ翅(ただ)に食重(しょくおも)きのみならん。
色(しき)の重(おも)き者と、礼の軽き者とを取りて、之を比せば、奚ぞ翅に色重(しきおも)きのみならん。
往(ゆ)きて之に応(こた)えて曰(い)え、兄(あに)の臂(ひじ)を紾(よ)らして之が食(しょく)を奪(うば)えば則(すなわ)ち食を得(え)、紾らさざれば則ち食を得ず。則ち将(まさ)に之を紾らさんとするか。
東家(とうか)の牆(かき)を踰(こ)えて其の処子(しょし)を摟(ひ)っ攫(さら)えば則ち妻を得、不摟かざれば則ち妻を得ず。則ち将に之を摟かんとするか」。
※注:
- 揣(はか)る:よく考える。判断の基準に立ち返ること。
- 岑楼(しんろう):山の上の高楼。非常に高くそびえた建物の例え。
- 一鉤金(いっこうのきん):少量の金属。
- 一輿羽(いちよのは):車一台分の羽。大量の比喩。
- 紾る(よる):ひじをねじる。暴力的手段。
- 処子(しょし):娘。未婚の女性。
1. 原文
孟子曰、於答是也何、不揣其本而齊其末、方寸之木、可使高於岑樓、金重於羽者、豈謂一鉤金、與一輿羽之謂哉、取食之重者、與禮之輕者、而比之、奚翅食重、取色之重者、與禮之輕者、而比之、奚翅色重。
應之曰、紾兄之臂而奪之食則得食、不紾則不得食、則將紾之乎。踰東家牆而摟其處子則得妻、不摟則不得妻、則將摟之乎。
2. 書き下し文
孟子(もうし)曰(いわ)く、
「是(これ)に答うるに於(お)いてや、何(なに)か有らん。其(そ)の本(もと)を揣(はか)らずして、其の末(すえ)を斉(ひと)しゅうすれば、方寸(ほうすん)の木(き)も、岑楼(しんろう)より高からしむべし。
金(きん)は羽(はね)より重しとは、豈(あ)に一鉤(いっこう)の金と、一輿(いちよ)の羽との謂(いい)を謂わんや。
食(しょく)の重き者と、礼(れい)の軽き者とを取りて之(これ)を比(くら)ぶれば、奚(なん)ぞ翅(ただ)に食重きのみならん。
色(いろ)の重き者と、礼の軽き者とを取りて之を比ぶれば、奚ぞ翅に色重きのみならん。
往(ゆ)きて之に応(こた)えて曰え、
『兄の臂(ひじ)を紾(ひね)りて之が食を奪(うば)えば則ち食を得(う)るも、紾らざれば則ち食を得ず。則ち将(まさ)に之を紾らんとするか。
東家(とうか)の牆(かき)を踰(こ)えて其の処子(しょし)を摟(いだ)けば則ち妻を得るも、摟かざれば則ち妻を得ず。則ち将に之を摟かんとするか。』」
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 孟子は言った。是に答えるには、何を言う必要があるだろうか。
→ 孟子は言った。「この問いに答えるのに、何を言う必要があるか(愚問だ)。」 - 本質を考えずに、末端を揃えようとするなら、方寸の木片でも岑楼より高くなるだろう。
→ 物事の根本を見ず、末の部分だけを揃えようとすれば、小さな木切れが高楼を超えるような、理屈の破綻を招く。 - 金が羽より重いというのは、一鉤の金と一輿の羽を比較して言うことではない。
→ 「金は羽より重い」といっても、少量の金と大量の羽を比べたら羽の方が重い。その比較の前提がそもそもおかしい。 - 食の重い面と、礼の軽い面を取り出して比較するなら、食が勝るのは当然である。
→ 食の大事な場面と、礼の些末な面を比べているから、食が重く見える。 - 色と礼でも同じことである。
→ 色欲と礼の比較でも、条件の取り方によって価値の逆転が起こる。 - (屋廬子に言ってやれ)兄の腕をねじって食物を奪えば食べられ、そうでなければ食べられない時、腕をねじるか?
→ 非道な手段でしか食べられないなら、君はその手段を取るのか?と反問せよ。 - 東隣の家の塀を越えて、若い娘を抱けば妻にできる。そうでなければできないなら、抱きにいくか?
→ 無理やり他人の娘を奪ってでも結婚するのか?と同じく問え。
4. 用語解説
- 揣(はか)る:測る、考える。「本を揣らず」は根本を考慮しないこと。
- 岑楼(しんろう):高い建物の比喩。
- 鉤(こう):わずかの量。金一鉤=少量の金。
- 輿(よ):多量の単位。車1台分程度。
- 翅(ただ)に~のみならん:単に~だけということか(反語)。
- 紾(ひね)る:腕をねじり上げること。暴力の比喩。
- 摟(いだ)く:抱きかかえる、奪うという意味も含む。
- 処子(しょし):未婚の若い女性。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう答えた:
「この問いにいちいち答えるまでもない。物事の本質を見ず、表面だけを比べれば、極端な結果になるのは当然である。
たとえば『金は羽より重い』と言っても、少量の金と大量の羽を比べれば羽の方が重い。それと同じように、食の重要な場面と礼の取るに足らぬ場面を比べて『食が重い』と言うのは、比較の仕方がおかしい。
同じことは色欲と礼にも言える。だから、こう問い返してやりなさい。
『もし兄の腕をねじって食物を奪えば食べられ、そうでなければ飢えるという状況なら、お前は兄の腕をねじるのか?』
『隣の家の娘を無理やり奪えば妻にできるとして、それでもそうするのか?』」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、比較の誤謬(ごびゅう)、すなわち前提の取り方が偏っていれば結論も歪む、という論理の基本を教えています。
さらに、「非常手段を正当化する理屈の危うさ」を批判しており、道徳の根本は便益によって左右されてはならないという孟子の立場が強調されています。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
❖「比較は前提条件で結果が変わる」
プロジェクトの評価や人事判断でも、比較対象の設定が恣意的だと正しい結論は出ない。数字やKPIの一部だけを見て「こっちが優れている」と決めるのは、羽と金の比較と同じ誤り。
❖「短期的成果のために手段を選ばないのか?」
「売上が上がるなら、多少の虚偽も許される」といった考え方は、兄の腕をねじる行為に等しい。組織の倫理観が問われる。
❖「“目的のための手段”に惑わされるな」
戦略的判断の場面で「正しい手段」を犠牲にして成果を追うと、結果的に信頼やブランドを損なう。
8. ビジネス用心得タイトル:
「比較の落とし穴を見抜け──目的と手段の倫理を問い続けよ」
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