孟子はこの章で、「人は誰しも“貴くありたい”と願う。しかし、本当の貴さ=天爵とは、外から与えられる地位や肩書きではなく、内に備わる仁義の徳である」と説きます。
さらに、人々は天爵をすでに持っていながら、それに気づかず、外から与えられる人爵ばかりを追い求めている――これが人生最大の錯覚であり、迷いだと批判します。
人は誰でも「貴いもの」を求めている
孟子は次のように語ります:
「貴くなりたいと思うのは、人間共通の願いである。
そして、実はすべての人が“自分の中に貴いもの(=天爵)を持っている”」
しかし、それに気づかず、外ばかりを見て生きる者は多いのです:
「それに思い至らないだけである(思わざるのみ)」
人爵(地位・名声)は、人に与えられ、人に奪われる
孟子は「人が貴いとするもの(人爵)は、本当の貴さ=良貴(りょうき)ではない」と断言します。
その代表例として挙げるのが、晋の権力者**趙孟(ちょうもう)**です。
「趙孟が人を貴くすることがあっても、彼の気分次第で賤しくすることもできる。
だからそれは“良貴”ではない」
つまり、他者の権力や世俗の評価による“貴さ”は不安定で、本質ではないということです。
詩経の引用:「徳に飽く」という満ち足りた心
孟子はここで**『詩経』の一節**を引用します:
「既に酒に酔い、既に徳に飽く(既醉以酒、既飽以德)」
これは、
- 酒の酔いが物質的な満足を表すとすれば、
- 徳によって満ち足りているのは、**心の中の充足=精神的な貴さ(天爵)**を意味しています。
このような人物は、たとえ外にどんな誘惑があろうとも――
- 他人が美食を味わっていても、うらやむことがない
- 他人が立派な衣服や名声を得ていても、欲しがることがない
なぜなら、内面にある“仁義の徳”で満たされているからです。
出典原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
貴(たっと)くならんことを欲するは、人の同じき心なり。
人々己に貴き者有りて、思わざるのみ。
人の貴くする所の者は、良貴(りょうき)に非(あら)ざるなり。
**趙孟(ちょうもう)**の貴くする所は、趙孟また能(よ)く之(これ)を賤(いや)しくす。
詩に云(い)う、
**「既に酔(よ)うに酒を以(もっ)てし、既に飽(あ)くに徳を以てす」**と。
仁義に飽くを言うなり。
人の膏粱(こうりょう)の味を願わざる所以(ゆえん)なり。
令聞(れいぶん)広誉(こうよ)身に施(ほどこ)く。
人の文繡(ぶんしゅう)を願わざる所以なり。
注釈
- 天爵:天から授かる、仁義忠信のような「本質的な徳」。
- 人爵:人から与えられる、官位・身分・名声といった「外的な評価」。
- 良貴:真に価値ある“貴さ”。内からにじみ出る徳。
- 趙孟:晋の有力者。気分次第で人を上げも下げもした例として挙げられる。
- 膏粱(こうりょう):美食のたとえ。脂ののった肉や上質の穀物。
- 文繡(ぶんしゅう):繍(ぬいとり)で美しく飾られた服。見た目の華やかさの象徴。
- 令聞・広誉:よい評判や世俗的な名声。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
heavenly-honor-over-worldly-status
(天の貴さを、世俗の地位よりも重んじよ)
その他の候補:
- true-nobility-comes-from-virtue(本当の貴さは徳から生まれる)
- titles-can-be-taken-but-virtue-remains
- filled-with-virtue-not-envy
この章は、「人は生まれながらに貴さを備えている」という孟子の性善説と、
「それに気づかず、外の評価に依存することの愚かさ」という社会批判とが交錯する、
非常に含蓄のある章です。
“徳に飽く”=心の満ち足りた状態こそが、真の「豊かさ」だという孟子の思想は、
物質主義・学歴主義・肩書偏重の現代においてこそ、響く言葉かもしれません。
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