孟子はこの章で、「性善」はもともと備わっているが、それだけでは不十分であり、正しく養わなければ存続しないと説きます。
これは性善説を土台にしながら、教育・修養・習慣の重要性を極めて明確に述べた一節です。
育てれば伸び、育てなければ失われる
孟子は言います:
「どんなものであれ、正しく育てれば生長するし、
正しく育てなければ、必ず消えてしまう」
ここで孟子は「苟(いやしく)も」という言葉を使い、「わずかでも」「条件さえ合えば」と語っています。
つまり、人間の心の中にある仁・義の“芽”=良心=性善の種子は、必ず育つ可能性を持っているということ。
ただし、それは**“ただ放っておいても育つ”という意味ではない**。
孔子の言葉を引いて補強:心はつかまえておかないと逃げるもの
孟子は孔子の言葉を引用します:
「操(と)れば則ち存(そん)し、舍(す)てれば則ち亡(ほろ)ぶ。
出入りには時(とき)なく、その郷(きょう)を知ること莫(な)し」
これは、**心=良心(仁義の感覚)**というものが、じっとしていない、つかみどころのないものだという性質を示しています。
- 操る(とる)=自覚してしっかり握っておく → 失わない
- 舍てる(放っておく)=意識しない・放任する → 消えてしまう
- “出入り無時・其の郷を知らず” → 現れてもすぐ消え、どこに行ったかわからない
孟子はこの言葉を受けて、
「それこそが“心”のことなのだ」
と断言します。
守らなければ消える、しかし育てれば誰にでも可能性がある
孟子のこの主張は、以下の性善説の実践的理解を支えます:
- 性(本性)は善だが、自然に完成されるものではない
- 人は本性に従うだけではなく、日々の行動でそれを養わなければならない
- 徳は持って生まれた“器”ではなく、“育てられる生命体”である
出典原文(ふりがな付き)
故(ゆえ)に苟(いやし)くも其の養(やしな)いを得(え)れば、物(もの)として長(ちょう)ぜざること無(な)く、
苟くも其の養いを失(うしな)えば、物として消(しょう)ぜざること無し。
孔子(こうし)曰(いわ)く、操(と)れば則(すなわ)ち存(そん)し、舍(す)てれば則ち亡(ほろ)ぶ。
出入(しゅつにゅう)に時(とき)無(な)く、其の郷(きょう)を知ること莫(な)しとは、
惟(こ)れ心の謂(いい)か、と。
注釈
- 苟得其養(こうとくきよう):正しく(少しでも)養えば。苟は「もし」「かりに」という仮定の語。
- 苟失其養:養うことを怠れば。
- 操(と)る:心を意識して掴み続けること。修養・反省・内省の意。
- 其の郷(きょう):心の居場所。どこにあるかをつかみづらい、把握困難な性質を指す。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
cultivate-your-heart
「心を養え」という孟子の実践的なメッセージを表現。
その他の候補:
- virtue-needs-care(徳は手入れを要す)
- watch-your-heart(心を見守れ)
- hold-it-or-lose-it(握らねば消える)
この章は、孟子思想のなかでも教育・自己修養の重要性を明確に示す核のような箇所です。
善なる性を持って生まれても、それを放置すれば禽獣と変わらなくなる――
人間らしさとは、育てること、保つこと、その営みによってこそ成り立つという孟子の信念が貫かれています。
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