孟子はこの章で、前節の「牛山の木」のたとえを引き継ぎ、人間の「良心(仁義の心)」がどのように損なわれ、またどうすれば保てるのかをさらに掘り下げて語ります。
それが、「平旦の気(夜気)を養うこと」という視点です。
人の心にも“芽生える力”がある
孟子は言います:
「人にも、牛山と同じように、仁義の芽=良心が宿っている。
それが失われるのは、本性がないからではなく、自らの行いでそれを損なってしまうからだ」
ここでの比喩:
- 斧斤で毎日木を伐る → 日々の悪習や怠惰が善なる心を切り落としていくこと
- 平旦の気(へいたんのき) → 夜明け前の澄んだ、静かな心の状態=本性が芽吹く環境
なぜ“良心”が育たないのか:日中の「為す所」が妨げになる
孟子は続けます:
「誰もが朝の清明な時間(=夜気)に善悪を識る本心を持っている。
だが、日中に行うこと=私欲・雑念・不義な行動が、それを“梏(こく)する”、つまり拘束してしまう。
これを繰り返すと、夜気は失われ、良心は存しなくなる」
そしてついにはこうなる:
「仁義の心を失った人は、禽獣(動物)と変わらなくなる」
見た目の行動で“本性”を誤解してはならない
孟子は、そうした状態の人間を見て、
「あの人にはもともと徳がない、生まれつき悪なのだ」
と判断することを厳しく戒めます。
「それはその人の“本性(性情)”ではない」
「ただ失われ、育まれていないだけ」
この教えは、孟子の性善説の核心であり、教育や修養の可能性を信じる基礎をなしています。
出典原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
人に存(そん)する者と雖(いえど)も、豈(あに)仁義(じんぎ)の心無からんや。
其の良心(りょうしん)を放(ほう)する所以(ゆえん)の者は、亦(また)斧斤(ふきん)の木に於けるがごときなり。
旦旦(たんたん)にして之を伐(き)れば、以て美と為(な)すべけんや。
其の日夜の息(いき)する所、平旦(へいたん)の気あるも、
其の好悪(こうお)、人と相近(あいちか)きもの幾(ほと)んど希(まれ)なるは、
則(すなわ)ち其の旦昼(たんちゅう)の為す所、之を梏亡(こくぼう)すればなり。
之を梏して反覆(はんぷく)すれば、則ち其の夜気(やき)以て存(そん)するに足(た)らず。
夜気以て存するに足らざれば、則ち其の禽獣(きんじゅう)を違(たが)うこと遠からず。
人、其の禽獣のごときを見て、以て未だ嘗(かつ)て才(さい)有(あ)らずと為(な)す者は、
是(こ)れ豈人の情(じょう)ならんや。
注釈
- 良心:仁義の芽生え。善なる本性の中心。「心の根」であり、現代でも使われる言葉の起源。
- 平旦の気(夜気):夜明け前の清らかな気分。心が静まり、本来の自己と向き合える時間帯。
- 梏亡(こくぼう):束縛・妨害して、成長を止めること。
- 禽獣:獣。理性を持たない状態の象徴。
- 反覆(はんぷく):繰り返すこと。悪習が日常化する様子。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
nurture-your-true-self
「本来の自分=良心を養う」という主題をやさしく表現。
その他の候補:
- dawn-spirit-lost(夜明けの気が失われる)
- don’t-judge-a-hardened-heart(損なわれた心を本性と見なすな)
- beastliness-is-not-our-nature(獣のような行為は本性ではない)
この章は、孟子が説く「人の心の修養とは日々の習慣であり、良心を育てる営みである」という思想が凝縮されています。
外見や行動の表層だけを見て人を判断せず、静かな心で己を保ち、徳を養うことの大切さを、孟子は時を超えて語りかけているのです。
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