たとえ王や諸侯であっても、真に賢者を敬うならば、自ら学びに行くべきである。
賢者を「召す(呼びつける)」という姿勢は、敬意を欠き、不義である。
孟子は、仕官していない庶人としての立場を貫き、礼に基づいて諸侯との面会を拒んだ。
万章は、なぜ諸侯に会わないのかと問う。孟子は、都に住む者を「市井の臣」、郊外に住む者を「草野の臣」と呼び、いずれもまだ官に仕えていない庶人であると説明した。
そうした庶人は、自ら礼物(しつもつ)を奉って仕官する意志を示さない限り、進んで君主に会うべきではない。それが礼であると。
さらに万章が「君主が召したのなら行くべきでは」と問うと、孟子は「労役のために行くのは義、面会のために出向くのは不義」だと明確に線引きする。
君主が会いたいのは「多聞(物知り)だから」あるいは「賢者だから」だというならば、それは学びを求める姿勢であるはず。
であれば、天子ですら師を呼びつけないのに、諸侯が賢者を召すなどあってはならない、と孟子は言い切る。
出典原文(ふりがな付き)
万章(ばんしょう)曰(いわ)く、敢(あ)えて問(と)う、諸侯(しょこう)に見(まみ)えざるは、何(なん)の義(ぎ)ぞや。
孟子(もうし)曰(いわ)く、国(くに)に在(あ)るを市井(しせい)の臣(しん)と曰(い)い、野(や)に在(あ)るを草野(そうや)の臣(しん)と曰(い)う。皆(みな)庶人(しょじん)を謂(い)う。
庶人(しょじん)は質(しつ)を伝(つた)えて臣(しん)と為(な)らざれば、敢(あ)えて諸侯(しょこう)に見(まみ)えざるは、礼(れい)なり。
万章曰(い)わく、庶人(しょじん)は之(これ)を召(め)して役(えき)せしむれば、則(すなわ)ち往(ゆ)きて役(えき)す。君(きみ)之(これ)を見(み)んと欲(ほっ)して之(これ)を召(め)せば、則(すなわ)ち往(ゆ)きて之(これ)に見(まみ)えざるは、何(なに)ぞや。
曰(いわ)く、往(ゆ)きて役(えき)するは義(ぎ)なり。往(ゆ)きて見(まみ)ゆるは不義(ふぎ)なり。
且(か)つ君(きみ)の之(これ)を見(み)んと欲(ほっ)するは、何(なに)の為(ため)ぞや。
曰(いわ)く、其(そ)の多聞(たもん)なるが為(ため)なり。其(そ)の賢(けん)なるが為(ため)なり。
曰(いわ)く、其(そ)の多聞(たもん)なるが為(ため)ならば、則(すなわ)ち天子(てんし)すら師(し)を召(め)さず。而(しこう)して況(いわ)んや諸侯(しょこう)をや。
其(そ)の賢(けん)なるが為(ため)ならば、則(すなわ)ち吾(われ)未(いま)だ賢(けん)を見(まみ)えんと欲(ほっ)して之(これ)を召(め)すを聞(き)かざるなり。
注釈
- 市井の臣(しせいのしん):都市に住む庶人。まだ仕えていない知識人。
- 草野の臣(そうやのしん):田舎や郊外に住む庶人。現在の「草莽(そうもう)」に通ず。
- 質(しつ)を伝える:礼物(れいもつ)を奉じて仕官の意思を示すこと。
- 義/不義:道理にかなう/かなわない行動。
- 召す(めす):身分の高い者が、下の者に来させること。呼びつける。
- 天子ですら師を召さず:最高権力者でさえ、敬意をもって師のもとに学びに行くという礼の姿勢。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
no-summon-for-the-wise
「賢者を呼びつけるな」という主題を明快に伝えます。
その他の候補:
- honor-before-command(命じる前に敬う)
- virtue-meets-volition(礼は自発を尊ぶ)
- not-by-summons(呼びつけによらず)
このように孟子の姿勢には、賢者たる者の矜持と、礼にかなう政治の原理が貫かれています。
1. 原文
萬章曰、敢問不見諸侯、何義也。
孟子曰、在國曰市井之臣、在野曰草野之臣、皆謂庶人。
庶人不傳質為臣、不敢見於諸侯、禮也。
萬章曰、庶人召之役、則往役、君欲見之召之、則不往見之、何也。
曰、往役、義也;往見、不義也。
且君之欲見之也、何為也哉。
曰、為其多聞也、為其賢也。
曰、為其多聞也、則天子不召師、而況諸侯乎;
為其賢也、則吾未聞欲見賢而召之也。
2. 書き下し文
万章(ばんしょう)曰く、
「敢えて問う。諸侯に見えざるは、何の義なりや。」
孟子曰く、
「国に在るを市井(しせい)の臣と曰い、野に在るを草野(そうや)の臣と曰う。
皆、庶人(しょじん)を謂うなり。
庶人は質(しち)を伝えて臣と為らざれば、敢えて諸侯に見えざるは、礼なり。」
万章曰く、
「庶人は召して役せしむれば則ち往きて役す。
君、これを見んと欲して召せば、則ち往きて見えざるは、何ぞや。」
曰く、
「往きて役するは義なり。往きて見ゆるは不義なり。
かつ君の之を見んと欲するは、何のためぞや。」
曰く、
「その多聞なるがためなり。賢なるがためなり。」
曰く、
「その多聞なるがためならば、天子すら師を召さず。
ましてや諸侯においてをや。
その賢なるがためならば、われ未だ賢を見んとして召すを聞かざるなり。」
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 万章が言った:「庶人(一般人)が諸侯に会わないというのは、どういう意味で“正しい”のですか?」
- 孟子が言った:「都市に住む者を“市井の臣”、田舎に住む者を“草野の臣”と呼ぶ。これらはすべて庶人である。
庶人は、正式に臣下としての役を担っていないならば、諸侯に会うことは礼に反する。」 - 万章が問うた:「庶人が召されて労役に出向くのはよいのに、君主に会うための召しに応じないのはなぜか?」
- 孟子が答えた:「労役に出向くのは“義”であり、君主に会うのは“義”ではない。
それに、君主がその庶人に会いたがる理由は何だろう?」 - 「それは、その人が“博識だから”あるいは“賢いから”だろう。」
- 「もし“博識”が理由なら、天子ですら師匠を私的に召し寄せたりしない。まして諸侯がそれをするべきではない。
“賢い”からであれば、私はまだ“賢者に会いたいから召し寄せる”という例を聞いたことがない。」
4. 用語解説
- 市井の臣:都市に住む平民、一般庶民。
- 草野の臣:郊外や田舎に住む庶民。
- 庶人:特権や官職を持たない平民階層。
- 質を伝えて臣となる:正式に忠誠(臣従)を誓い、家臣・官職として仕えること。
- 役:公共のために従事する労働。義務としての勤労奉仕。
- 義:道理にかなった正しい行為。
- 不義:不当、不正、不適切な行為。
- 師:ここでは学問や道徳の師匠。
- 召す(めす):身分の高い人が、目下の者を呼び寄せること。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
万章が「なぜ庶人は諸侯に呼ばれても会いに行かないのか」と問うと、孟子は「それが礼儀である」と答える。
庶人は正式な家臣でなければ、たとえ君主から召されても私的に面会すべきではない。
労役として呼ばれるならば、それは国のための義務として応じるべきだが、
個人的な理由で呼び出されて会うのは、礼を欠き、義にも反する。
もし君主が「多くのことを知っているから」「賢いから」会いたいというなら、
天子ですら師匠を私的に召し寄せないのだから、諸侯がそれをしてはならない。
そもそも、賢者に会いたいならば、召すのではなく、その道徳性に敬意を払って接するべきだ。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「身分と礼、そして権力と知識人との関係性」**に対する孟子の立場を示しています。
- 賢者は権力者にへつらって近づくべきではなく、また、権力者もそれを“召して支配する”ような態度で接してはならない。
- “会いたければ呼ぶ”というのは、上下関係の構築であって、真に賢者を尊重する姿勢ではないという、倫理的な厳格さを示しています。
7. ビジネスにおける解釈と適用
- 「真に優秀な人材には、リスペクトと自発性が必要」
→ 強制的に呼びつけたり支配的に接するのではなく、自らの意思で協力してもらう姿勢が必要。 - 「知の尊重は、制度ではなく関係性で示す」
→ 専門家やベテランの知見を活かすには、対等な関係で信頼を築くことが重要。 - 「リーダーは“召す者”ではなく“尋ねる者”であれ」
→ 地位にあぐらをかかず、知を敬う姿勢を持つことで、賢者からも信頼を得られる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「賢を召すな、礼で尋ねよ──知の尊重は関係の礼にあり」
この章句は、現代の組織における「専門家との関係」「フラットなリーダーシップ」の在り方にもつながります。
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