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◆ 問題提起:士(知識人)が仕えぬ諸侯に身を寄せてよいのか?

万章の問い:

「士たる者が、仕えていない諸侯に身を寄せるのはなぜいけないのですか?」

孟子の答え:

「あえてそうしないものだ。なぜなら士が諸侯に身を寄せるのは礼ではないからである。」

孟子はここで、**立場や身分に応じた行動規範(礼)**を重視します。

  • 諸侯同士であれば、亡命や援助を求めて身を寄せるのは「礼」にかなう。
  • しかし士(知識人・下級官吏)と諸侯(君主)では身分が異なり、関係が対等でないため、礼に背くとされます。

目次

◆ 次の問い:窮乏した士が、君主から粟(穀物)をもらうのはよいのか?

【万章の問い】

君主が士の窮乏を見て粟(食糧)を贈ってきたら、受け取ってよいのか?

【孟子の答え】

受け取ってよい。
それは“救済(周)”だからである。」


◆ さらに掘り下げた疑問:「救済」は受けるが、「俸禄」は断るのはなぜ?

【万章の問い】

「救済なら受けるが、俸禄なら受けないのはなぜ?」

【孟子の答え】

「あえて受けないのだ。」

【万章の再質問】

「どうして“あえて受けない”のですか?」


◆ 核心:働きもせずに俸禄を受けるのは不恭である

孟子の答えはこうです:

「抱関撃柝(ほうかんげきたく)の者」――門番や夜警ですら、定職を持ってその職責を果たし、俸禄を受けている。
もし一定の職務も果たさずに、俸禄だけ受ければ、それは“不恭(礼儀を欠いた態度)”である。」

つまり、

  • **「職責がないのに報酬を受けるのは、非常に恥ずかしいことだ」**というのが孟子の倫理観です。

◆ 用語・表現の補足

表現意味
官に仕える知識人・下級官吏。孟子自身もこの階層。
粟(ぞく)穀物、食料のこと。贈与や俸禄の象徴。
周う(あまねくすくう)救済する。主に一時的支援を指す。
賜(たまもの)俸禄・恒常的な給与。職に伴う。
抱関撃柝(ほうかんげきたく)門番や夜警の仕事を象徴する言葉。夜に門を守り木を打って警告音を出す職。

◆ 現代への教訓

孟子の言うこの区別は、現代社会でも応用できます:

類型現代的な意味妥当性
救済としての支援社会福祉・生活保護一時的・最低限の支えとして受けるのは問題ない
働かずして報酬だけ得る名誉職・名ばかりの役職不恭・不正の温床になり得る

→ 「責任を伴わない報酬」は受けるべきではない
→ 「地位や報酬には、それを正当化する職務や役割が必要」


◆ 結論

孟子がこの章で強調するのは、**「礼と節義による身分と報酬の調和」**です。

  • 貧しさゆえに支援を受けるのは恥ではない。
  • しかし、職も責任もないのに報酬を受けるのは不義・不恭である。
  • 高潔な士として生きるなら、救済と俸禄を区別し、自律と礼をもってふるまうべきである。
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