孟子は、孔子が仕官のために卑しい者の家に身を寄せたという俗説を否定し、その生き様がいかに「礼」と「義」にかなっていたかを語る。
孔子は進んで仕えるときには礼に外れず、退くときにも義を忘れなかった。
だからこそ、地位や成功の有無は自分の意志ではなく、天命によって決まるとしたのである。
孟子はこの一連の話を通じて、「名を求めるために手段を選ばぬ生き方では、義もなく、命もない」と明言している。
原文と読み下し
万章(ばんしょう)問うて曰く、或(ある)ひと謂(い)わく、
孔子(こうし)、衛(えい)に於(お)いては癰疽(ようそ)を主(しゅ)とし、
斉(せい)に於いては侍人(じじん)瘠環(せきかん)を主とす、と。諸(これ)有(あ)りや。孟子(もうし)曰く、否(いな)、然(しか)らざるなり。事(こと)を好(この)む者(もの)之(これ)を為(つく)るなり。
衛に於いては、賢大夫・顔讐由(がんしゅうゆう)を主とせり。弥子(びし)の妻は、子路(しろ)の妻と兄弟(けいてい)なり。
弥子、子路に謂いて曰く、「孔子、我(わ)が家に主とせば、衛の卿(けい)を得べきなり」と。
子路以(もっ)て之を告(つ)ぐ。孔子曰く、「命(めい)有(あ)り」と。孔子は進むに礼(れい)を以てし、退くに義(ぎ)を以てす。得ると得ざるとは、命有りと曰う。
而(しか)るに癰疽(ようそ)および侍人瘠環(せきかん)を主とせば、是(こ)れ義なく、命なきなり。
解釈と要点
- 「孔子が腫物医者や宦官に取り入った」という俗説を孟子は断固として否定する。
- 孔子は仕官のチャンスがあっても、「義」に反するならば辞し、どんな境遇であれ「礼」を失わなかった。
- 弥子(衛の寵臣)が子路を通じて孔子に身を寄せるよう勧めたときも、孔子は「命(天命)がある」として固辞した。
- 地位を得ることが重要なのではなく、道義を守って進退を判断することが聖人の姿であり、結果は天に委ねるべきという考え方。
- もし卑しい者の家に身を寄せてまで出世しようとしたならば、それは義も命もない行為であり、聖人の道から外れる。
注釈
- 癰疽(ようそ):腫物医者を意味する。孔子がそのような人物を頼ったという俗説の象徴。
- 瘠環(せきかん):宦官の一人。斉の権力者の取り巻きであった。
- 主(しゅ)とす:その家に泊まる・身を寄せること。
- 命有り:天命がある、つまり自分で決めることでなく、天が決めること。
- 進むに礼、退くに義:孟子が最も重視する「行動規範」であり、礼儀・正道に則った判断を意味する。
パーマリンク(英語スラッグ)
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→「義に従う行いは天命を待つ」という孔子・孟子の思想を表すスラッグです。
その他の案:
no-favor-seeking-without-honor
(名声は求めず、礼を重んじる)integrity-before-office
(官職より誠実を)success-by-fate-not-flattery
(おもねりでなく天命で成功せよ)
この章は、「進退は義によって行い、得失は天に任せる」という儒教的進路選択の基本哲学を、孔子のエピソードを通じて強調するものです。
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