孟子は、堯・舜による賢者への禅譲と、夏・殷・周に見られる血縁による継承(継嗣)とを対立的に捉えるべきではないと語る。
賢者に譲ることも、子に継がせることも、天命に基づいていればその「義」は等しく正しいのである。
その証として、伊尹(いいん)が自ら王にならず太甲(たいこう)を再教育し復位させた故事や、周公が摂政にとどまり周の政権を支えた例を挙げる。
いずれも、自らの私欲でなく天命と道義に従った行動であり、真の「義」にかなう継承の形である。
原文と読み下し
伊尹(いいん)、湯(とう)に相(しょう)たりて、以(もっ)て天下に王たらしむ。湯崩(ほう)じ、太丁(たいてい)未(いま)だ立たず。外丙(がいへい)二年、仲壬(ちゅうじん)四年。
太甲(たいこう)、湯の典刑(てんけい)を顚覆(てんぷく)す。
伊尹、之(これ)を桐(とう)に放(はな)つこと三年なり。太甲、悔(く)いて、自(みずか)ら怨(うら)み、自(みずか)ら艾(つつし)みて、桐に於いて仁に処(お)り義に遷(うつ)ること三年、
以(もっ)て伊尹の己(おのれ)に訓(おし)うるを聴(き)き、亳(はく)に復(かえ)りて帰(き)す。周公(しゅうこう)の天下を有たざるは、猶(なお)益(えき)の夏(か)に於ける、伊尹の殷(いん)に於けるが如(ごと)しなり。
孔子曰(いわ)く、唐・虞(とう・ぐ)は禅(ぜん)り、夏后(かこう)・殷・周は継(つ)ぐ。其の義(ぎ)は一(いつ)なり、と。
解釈と要点
- 伊尹は湯王に仕え、その死後は太丁の子・太甲が即位したが、暴政を行ったため追放した。
- 伊尹は自ら位に就くことなく、太甲に三年間の反省と修養を促し、仁義の道に立ち戻ったところで復位を許した。これにより、殷の正統は保たれた。
- 周公も同様に、天子の地位を得るに値する徳を備えながらも、自身の権力欲ではなく天命と正統性を重んじた。
- 孔子の言葉「禅譲も継嗣も義は一なり」によって、孟子は形式にとらわれず、行為の中にある「義(道理と誠)」をこそ重視せよと説いている。
注釈
- 伊尹(いいん):殷の創建者・湯王に仕えた名宰相。政治・徳治に優れ、君主の教育にも尽力した。
- 典刑(てんけい):定められた法や政治の制度。
- 桐(とう):太甲が追放された地。
- 唐・虞(とう・ぐ):堯(唐氏)と舜(虞氏)。賢者に王位を譲った例。
- 禅(ぜん)る:禅譲。徳ある賢者に王位を譲ること。
- 継(つ)ぐ:継嗣。子孫が王位を継ぐこと。
パーマリンク(英語スラッグ)
succession-by-merit-or-blood-both-righteous
→「賢による継承も血統による継承も、義であるならば等しく正しい」を表す表現です。
その他の案:
one-path-of-righteousness
(道は異なれど義は一つ)legitimacy-through-merit-and-lineage
(賢徳と血統による正統性)mandate-follows-virtue-not-form
(天命は形式ではなく徳に従う)
この章は、「義」にかなった継承の本質を示し、形にとらわれず、志と誠による判断を説く孟子の核心思想が集約されています。
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