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民が望むところに天意が宿る――舜の即位と天命の可視化

孟子は、舜が天子となった過程において、天意と民意が一致したことをもって、正統性の根拠とした。
天が与えるとは、神々がその祭祀を受け入れ、政治が安定し、民が安心することで現れる。
天は言葉を持たず、民の受容を通じてその意志を示す
堯の子を差し置いて諸侯・民衆が自然と舜を支持したのは、まさに天が民を通して語った証なのである。


原文と読み下し

曰く、敢(あ)えて問(と)う。之(これ)を天に薦(すす)めて、天之(これ)を受(う)け、之を民に暴(あらわ)して、民之を受くとは、如何(いかん)。

曰く、之をして祭(まつ)りを主(つかさど)らしめて、百神(ひゃくしん)之を享(う)く。是(こ)れ天之を受くるなり。
之をして事(こと)を主らしめて、事治(おさ)まり、百姓(ひゃくせい)之に安(やす)んず。是れ民之を受くるなり。
天之を与え、人之を与う。故に曰く、天子は天下を以て人に与うること能わず、と。

舜は堯(ぎょう)に相(しょう)たること二十有八載(にじゅうゆうはちさい)。人の能く為す所に非(あら)ざるなり。天なり。

堯崩(ほう)じ、三年の喪(も)畢(お)わりて、舜、堯の子を南河(なんか)の南に避(さ)く。
天下の諸侯、朝覲(ちょうきん)する者、堯の子に之(ゆ)かずして、舜に之く。
訟獄(しょうごく)する者、堯の子に之かずして、舜に之く。
謳歌(おうか)する者、堯の子を謳歌せずして、舜を謳歌す。
故に曰く、天なり

夫(そ)れ然(しか)る後(のち)中国に之き、天子の位を践(ふ)めり。
而(しこう)るを堯の宮に居り、堯の子に逼(せま)らば、是れ簒(さん)うなり。天の与うるに非ざるなり。

『泰誓(たいせい)』に曰く、天の視(み)るは我が民の視るに自(よ)り、天の聴(き)くは我が民の聴くに自る、と。此れの謂なり。


解釈と要点

  • 舜が天子と認められたのは、堯の形式的な命令ではなく、祭祀で神々に受け入れられ、政治で民に安心を与えたからである。
  • それにより、「天が舜を受け入れ、民が舜を受け入れた」とされる。
  • 天命は「言葉」ではなく、客観的な事実と結果の積み重ねによって示される。
  • 舜が堯の死後すぐに権力を握ったのではなく、一度自ら退き、民意の集中を経て中央に復帰したことが、簒奪(さんだつ)ではない正統な即位の証左となる。
  • 『書経』泰誓篇の「天の視るは我が民の視るに自り…」という言葉は、天意とは民意を通して働くものであるという根本思想を表現している。

注釈

  • 百神(ひゃくしん):天地山川、自然神など、国家的祭祀の対象となる神々。
  • 暴す(あらわす):登用して公務を行わせること。
  • 朝覲(ちょうきん):臣下が天子に拝謁すること。
  • 謳歌(おうか):徳を称えて歌うこと。民の真の称賛の表れ。
  • 簒(さん)う:正当な手続きを踏まずに権力を奪うこと。

パーマリンク(英語スラッグ)

mandate-through-the-people
→「天命は民を通じて示される」という核心を的確に表現したスラッグです。

その他の案:

  • heaven-speaks-by-acceptance(受容が天意を示す)
  • no-throne-without-the-people(民なき即位は認められない)
  • divine-right-through-merit(徳による神意の正統性)

この章では、「天命とは何か」に対する具体的な可視化と、政治的正統性の条件が明確に語られています。

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