孟子は、堯が舜に「天下を与えた」という表現に対し、それは誤解であるときっぱり否定する。
天下は人が与えるものではなく、天がその人物の「行い」と「応じた結果」をもって与えるものだ――これが孟子の天命思想である。
舜が天子になったのは、堯の推薦と舜の徳行が、天と民によって受け入れられた結果であり、言葉ではなく現実の推移によって「天命」が示されたのである。
原文と読み下し
万章(ばんしょう)曰く、堯(ぎょう)は天下を以(もっ)て舜(しゅん)に与う、と。諸(これ)有(あ)りや。
孟子(もうし)曰く、否(いな)。天子(てんし)は天下を以て人に与うること能(あた)わず。然(しか)らば則(すなわ)ち舜の天下を有(ゆう)つや、孰(たれ)か之(これ)を与えし。
曰く、天(てん)之を与(あた)う。天の之を与うるは、諄諄然(じゅんじゅんぜん)として之を命ずるか。
曰く、否。天言(い)わず。行(こう)いと事(こと)とを以(もっ)て之を示(しめ)すのみ。曰く、行いと事とを以て之を示すとは、之を如何(いかん)。
曰く、天子は能く人を天に薦(すす)むれども、天をして之に天下を与えしむること能わず。
諸侯は能く人を天子に薦むれども、天子をして之に諸侯を与えしむること能わず。
大夫は能く人を諸侯に薦むれども、諸侯をして之に大夫を与えしむること能わず。昔者(むかし)、堯、舜を天に薦めて、天之を受(う)く。之を民に暴(あらわ)して、民之を受く。
故に曰く、天言わず。行いと事とを以て之を示すのみ。
解釈と要点
- 天下は天が与えるものであり、人が授けるものではない。堯であっても、舜に「与える」ことはできなかった。
- 舜が天下を得たのは、彼の徳が天と民に認められたからであり、天命は言葉ではなく「現実に現れた結果」で測られる。
- 天子・諸侯・大夫という位階においても、上位者は推薦こそできても、決定権は天(またはその位階の上)にある。
- 天はものを言わないが、行動とその結果が“天意”を明らかにする。
つまり、「その人がふさわしいかどうか」は、自然と周囲(天と民)の反応に現れるということ。 - 「天命思想」とは、実績・徳行によって認められた者にこそ、地位が正当に与えられるという思想であり、儒教における正統性の根拠となる。
注釈
- 諄諄然(じゅんじゅんぜん):丁寧に、繰り返し言い聞かせるように語るさま。ここでは「天が命じた」というのが「言葉で告げた」わけではないという反語的な使い方。
- 暴す(あらわす):民の上に立たせ、実際に統治を行わせること。
- 薦める(すすめる):推挙する、推薦すること。位を与える権限はないが、候補として示すこと。
パーマリンク(英語スラッグ)
heaven-speaks-through-deeds
→「天は行いによって語る」という核心的な思想を直接的に表現したスラッグです。
その他の案:
mandate-not-bestowed-by-man
(天命は人によらず)legitimacy-through-virtue
(徳による正統性)whoever-heaven-accepts
(天が受け入れし者)
この章は、孟子思想の根幹である「天命思想」の本質を明示し、形式ではなく、実と徳によって人が評価されるべきだという信念を体現しています。
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