孟子は、万章との対話の中で、舜が天に向かって号泣した理由について語る。
親に愛されないことへの「怨み」――それは、恨みではなく、なお慕う切ない気持ちの表れだった。
ただ職務を果たせばよいという冷淡な姿勢ではなく、たとえ報われぬ親子関係であってもなお、心から親を思い続ける――それが「孝子の心」だという。
舜の涙には、純粋な愛と誠が込められていた。
原文と読み下し
萬章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、舜(しゅん)、田(でん)に往(ゆ)き、旻天(びんてん)に号泣(ごうきゅう)す。何為(なんす)れぞ其(そ)れ号泣するや。
孟子(もうし)曰く、怨慕(えんぼ)すればなり。
萬章曰く、父母(ふぼ)之(これ)を愛(あい)すれば、喜(よろこ)んで忘(わす)れず。父母之を悪(にく)めば、労(ろう)して怨(うら)みず、と。然(しか)らば則(すなわ)ち舜は怨みたるか。
曰く、長息(ちょうそく)、公明高(こうめいこう)に問(と)うて曰く、舜の田に往くは、則ち吾(われ)既(すで)に命(めい)を聞くことを得たり。旻天に父母に号泣するは、則ち吾れ知らざるなり、と。
公明高曰く、是(こ)れ爾(なんじ)の知(し)る所に非(あら)ざるなり。
夫(そ)れ公明高は、孝子(こうし)の心を以(も)って、是(か)くの如(ごと)く恝(きつ)ならずと為(な)す。我(われ)は力(ちから)を竭(つ)くして田を耕(たがや)し、子(し)たるの職(しょく)に共(とも)するのみ。父母の我を愛せざるは、我に於(お)いて何ぞや、と。
解釈と要点
- 舜の涙は「怨慕」――恨みと慕いの入り混じった深い情。
- ただ形式的に親に仕えるのではなく、報われぬ親子関係においてもなお心を尽くしていることが、舜のまごころである。
- 公明高は、「孝」とは冷めた達観などではなく、温かく切実な情を伴うものだと説いた。
- 舜は親に拒まれながらも、心の底から親を慕い、その感情を天に訴えた。
注釈
- 旻天(びんてん):あわれみ深い天。ここでは舜が心情を訴える対象。
- 怨慕(えんぼ):恨みと同時に慕う情。舜の複雑な心情を表す。
- 公明高(こうめいこう):曾子の弟子。舜の行動について深い解釈を示す。
- 長息(ちょうそく):公明高の弟子で、質問者。
- 恝(きつ)ならず:「冷淡でない」の意。形式だけの孝ではなく、心ある孝を重んじる。
パーマリンク(英語スラッグ)
true-filial-piety-is-not-cold
→「まことの孝は冷淡ではない」という核心を示した表現です。
その他の案:
heartfelt-piety-of-shun
(舜のまごころある孝)beyond-duty-in-filial-love
(義務を超えた孝の情)
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