富や地位ばかりを追いかける人生は、まやかしの虚像に過ぎない
孟子が語るのは、斉の国にいた一人の“虚勢を張る男”の寓話的エピソードです。
この男は、一人の妻と一人の妾と共に暮らしていた。彼は外出すると毎回、酒や肉で満腹になって帰ってきた。
妻が「誰と一緒に飲食したのか」と尋ねると、彼は「皆、身分の高い富貴の人々だ」と答える。
しかし、妻は疑念を抱く。
「そのような高貴な人々が、家に来たことなど一度もない。…これはおかしい」
→ そこで、夫の外出を尾行することにする。
真実は、墓地で残り物をあさる姿だった
早朝、妻はこっそり夫の後をつける。
すると夫は、町中をうろついては誰とも会話せず、やがて郊外の墓地にたどり着く。
そこで祭りをしている人々から供物の残り物をもらって食べる。足りなければ、また他の墓前へ移動。
つまり彼の「ごちそう」は、墓地での“残り物あさり”だった
妻はその惨めな現実を見て、妾と共に夫への失望と恥辱に泣き崩れる。
孟子の痛烈な比喩:君子の眼にはこう見える
孟子はこの逸話を用いて、次のように断じる:
「君子の目から見れば、世の人が富貴や立身出世を追い回す姿というのは、この斉人のようである」
外から見れば立派に見えるかもしれない。
しかし、その実態は、墓地の残り物を“富貴の宴”と偽って悦に入っているようなもの。
その虚栄の裏にある惨めさ、浅ましさを自覚せぬまま、“成功者”を気取っているだけなのだ。
「もしこの姿を妻妾が見たならば、恥じて泣かぬ者は稀であろう」と孟子は言う。
原文(ふりがな付き)抜粋
齊人、一妻一妾にして室に処る者有り。其の良人、出づれば必ず酒肉に饜(あ)きて反(かえ)る。
妻問いて曰く、与に飲食する者は誰ぞ?と。尽く富貴なりと答う。
妻、妾に告げて曰く、良人は仰ぎ望んで生涯を共にすべき存在なり。
今のこの有様を見るに、訕(そし)らざるを得ず、と。
二人、中庭にて泣く。
良人は何も知らず、施施として(意気揚々と)帰宅し、妻妾に誇る。
孟子曰く:
君子由り之を観れば、人の富貴利達を求むる姿、
妻妾、羞(は)じず、相泣かざる者、幾(ほと)んど希なり。
心得の要点
- 表面上の“成功”に酔い、自分の行いの実態を顧みないのは、極めて浅ましい。
- 富や地位を得ること自体が悪なのではなく、虚栄心だけでそれを求める姿勢が問題。
- 真の尊敬や信頼は、誠実な生き方・志ある行動によって得られるもの。
- 孟子は、現実逃避と自己欺瞞に陥った生き方を厳しく諌め、
君子たる者は“志”を抱き、富貴に溺れず、節を守って生きるべきだと説く。
パーマリンク案(スラッグ)
- hollow-chase-of-success(中身のない成功追求)
- weeping-at-the-truth(虚像を知ったとき人は泣く)
- false-riches-true-shame(偽りの富は真の恥)
この章は、現代の私たちにも通じる見栄と実態のギャップへの鋭い風刺であり、
「何のために生きるのか」「何をもって成功とするのか」――
そうした問いに立ち返らせてくれる、孟子の知恵と痛烈な批判精神が凝縮された一篇です。
コメント