聖人は特別な存在ではなく、人間の可能性の象徴である
斉の国の儲子(ちょし)が孟子にこう尋ねる:
「わが国の王(斉王)が、人をやって先生の様子をひそかに見させています。
それは先生が“人と異なるところがあるか”を確かめようというのです。
先生は、やはり特別な人物なのですか?」
これに対して孟子は、静かに、しかし力強くこう答えた:
「何で私が人と異なるところがありましょうか。堯(ぎょう)や舜(しゅん)でさえ、人と同じなのです」
孟子は、**古代中国における理想の聖王とされた堯・舜を引き合いに出し、
“聖人でさえも普通の人間にすぎない”**と語る。
孟子の核心思想:「人は皆、聖人の可能性を持つ」
この言葉には、孟子の性善説の背景が色濃く流れています。
孟子にとって、
- 堯・舜は、生まれながらにして特別な“異人”ではなく、
**人としての本性=善を極限まで高めた「到達点」**に過ぎない。 - つまり、どの人も志し次第で、堯・舜と同じ“道”を歩むことができる。
これは一方で、「聖人のようになろうとする努力の道は万人に開かれている」とする、
自己肯定と自己修養への激励の言葉でもあります。
原文(ふりがな付き)
儲子(ちょし)曰(いわ)く、
「王(おう)、人をして夫子(ふうし)を矙(うかが)わしむ。
果(はた)して以(も)って人に異(こと)なる有(あ)りや」
孟子(もうし)曰く:
「何(なん)を以(もっ)て人に異ならんや。
堯(ぎょう)・舜(しゅん)も人と同(おな)じきのみ」
心得の要点
- **聖人は「異人」ではなく、「同じ人間の努力の結晶」**である。
- 偉人を崇拝しすぎることで、「自分は到底及ばぬ」と思う必要はない。
- 自己を卑下せず、また誇ることなく、“人間としての可能性”を信じて歩むのが、君子の道。
- 本章は、孟子の思想における最もシンプルで力強い人間賛歌である。
パーマリンク案(スラッグ)
- sages-are-human-too(聖人も人である)
- no-one-is-born-different(生まれつきの異人などいない)
- same-human-different-effort(違うのは人ではなく努力)
この章は、孟子の強い平等思想と人間観に裏打ちされた自負と謙遜の調和が見事に表れています。
彼は、自分が聖人と同じだと言うことで偉ぶるのではなく、**「あなたもまた聖人の道を歩める」**と語っているのです。
それは、リーダーにも、学ぶ者にも、すべての人への根源的なメッセージです。
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