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自分の正しい評価基準を持つ

風評に流されず、真に「不孝」とは何かを見極めよ

孟子の弟子・公都子(こうとし)が、ある日こう問いかける:

「匡章(きょうしょう)は、国中で不孝者と悪評されています。
しかし先生は、彼と親しく交わり、さらには礼をもって接しておられます。
なぜそのようなご対応をなさるのですか?」

この問いに対し、孟子は**「不孝とは何か」を論理的かつ具体的に五つに分類**し、こう答える:


孟子の説く「不孝」五つの形

  1. 怠惰な者
     身体を働かせることを怠り、親を養うことを顧みない。
  2. 遊興にふける者
     賭け事や酒に明け暮れ、親を養う責任を果たさない。
  3. 利己的な者
     金を貯めては妻子にのみ与え、親への仕送りは惜しむ。
  4. 享楽に溺れ親を辱める者
     感覚的快楽ばかりを追い求め、その行いが親に恥をかかせる。
  5. 暴力的な者
     すぐに争いや乱暴を起こし、その巻き添えで親にまで危険が及ぶ。

匡章はどうか?

孟子は問い返す:

「匡章は、この五つのいずれかに当てはまるのか?」

つまり――
世間が「不孝」と騒いでも、それが本当に徳に反するかどうかは別の話だということです。

孟子はここで、表面的な印象や世評ではなく、明確な道徳的基準に基づいて人を評価すべきだと教えているのです。


原文(ふりがな付き)

公都子(こうとし)曰(いわ)く、匡章(きょうしょう)は通国(つうこく)皆(みな)不孝と称(しょう)す。
夫子(ふうし)之(これ)と遊(あそ)び、また従(したが)って之を礼貌(れいぼう)す。
敢(あ)えて問(と)う、何(なん)ぞや?

孟子(もうし)曰(いわ)く、世俗(せぞく)の所謂(いわゆ)る不孝なる者、五(いつ)あり。

一に曰く:四肢(しし)を惰(おこた)りて、父母(ふぼ)を養(やしな)うを顧(かえり)みざる。
二に曰く:博弈(ばくえき)し、酒を好(この)みて父母を顧みざる。
三に曰く:貨財(かざい)を私(わたくし)し、妻子(さいし)に厚(あつ)くして、父母を顧みざる。
四に曰く:耳目(じもく)の欲に従(したが)い、父母を戮(はずかし)む。
五に曰く:闘很(とうこん)を好み、父母を危(あや)うくす。

章子(しょうし)は、是(これ)に一(ひと)つ有(あ)りや?


心得の要点

  • 真の「不孝」は、行為が親の心身や尊厳を損なうことにある
  • 世間の評価が必ずしも正しいとは限らない。道徳的な判断基準を自分の中に持つことが重要
  • 人を非難する前に、その人の具体的な行いを吟味せよ
  • 徳のある人は、人を評価するにも誠実さと理をもって対する

パーマリンク案(スラッグ)

  • judging-by-principle-not-rumor(風評ではなく原理で人を見る)
  • true-meaning-of-filial-piety(真の孝とは何か)
  • moral-standards-over-public-opinion(世論より徳の基準)

この章は、現代においても非常に重要な教えを含んでいます。
私たちはしばしば「評判」や「多数の声」に左右されがちですが、孟子は信頼すべきのは明確な道徳的基準であると断言します。
人物を見る目、評価する力、それは外に求めるものではなく、自分の中に築き上げるものだと教えてくれるのです。

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