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礼はおべっかに優先する(孟子の意地)

礼を守ることは、人を恐れず、媚びないことの証である

ある日、斉の大夫・公行子(こうこうし)の長男が亡くなり、喪儀が執り行われた。
弔問に訪れた王驩(おうかん、右師の役職)は、有力者としてその場に現れた。

その際、会場では多くの人が、王驩が門を入るやすぐに言葉を交わし、
席につくと機嫌を取るように近寄って挨拶をした。
だが――孟子だけは王驩にまったく声をかけなかった

王驩は不快感を示し、こう言った:

「皆が私に話しかけるのに、孟子だけが何も言わない。これは私を軽んじているのだ」。

この言葉を聞いた孟子は、毅然とこう答える:

礼によれば、朝廷では他人の席を越えて話してはならず、階段を越えて挨拶してはならない。
この喪礼は朝廷の礼に準ずるべきもので、私はその礼に従っているのだ。
それを“私を軽んじた”というのは、むしろおかしいことである
」。

このやり取りからは、孟子の強い道徳的自負と「礼」の尊重が、権力者に媚びない姿勢として表現されていることがわかります。
同時に、孟子が礼を守ることで人間関係の私情や忖度から距離を置き、正しい秩序の保持者としての立場を崩さなかったことが際立ちます。


原文(ふりがな付き)

公行子(こうこうし)、子(こ)の喪(そう)有(あ)り。右師(うし)往(ゆ)きて弔(ちょう)す。
門(もん)に入(い)るや、進(すす)みて右師と言(い)う者有(あ)り。右師の位(くらい)に就(つ)きて、右師と言う者有り。
孟子(もうし)、右師と言わず。
右師悦(よろこ)ばずして曰(い)わく:
「諸君子(しょくんし)皆(みな)驩(かん)と言うに、孟子独(ひと)り驩と言わず。是(こ)れ驩を簡(かん)にするなり」。

孟子之(これ)を聞(き)きて曰(い)わく:
「礼(れい)に、朝廷(ちょうてい)には位(くらい)を歴(へ)て相与(あいとも)に言(い)わず、階(かい)を踰(こ)えて相揖(あいゆう)せず、と。
我(われ)礼を行(おこな)わんと欲(ほっ)するに、子敖(しごう)は我を以(もっ)て簡(かん)なりと為(な)す。亦(また)異(い)ならずや」。


注釈

  • 右師(うし)/王驩(おうかん):斉の高官。孟子が以前から批判していた人物でもある。
  • 礼(れい):儒家において、社会秩序と人間関係を保つ基本原則。とくに喪礼や朝廷では厳格に守られる。
  • 相揖(あいゆう):互いに手を組んで挨拶する作法。
  • 簡(かん)にする:軽んじる、ぞんざいに扱う意。

心得の要点

  • 真の礼は、誰かに媚びることでも、場の空気を読むことでもない。本質を守る強い意志である
  • 「みなやっている」ことに流されず、自分が信じる正義と作法に従うことが、君子の姿である。
  • 礼の実践は、相手への尊重と秩序を保つためのものであり、個人的感情とは別の次元である
  • 「礼を理由に迎合を拒む」孟子の姿勢は、現代の形式主義と内面の真実の関係にも通じる教訓を含む。

パーマリンク案(スラッグ)

  • principled-not-pleasing(迎合ではなく原則に従う)
  • ritual-over-flattery(おべっかより礼を重んじる)
  • respect-through-restraint(抑制による本当の尊敬)

この章は、組織や社会の中で「空気を読め」とされがちな現代において、個人の信念と礼節がいかにして共存すべきかを考えさせられる名場面です。孟子の意地は、決して傲慢ではなく、自らが信じる礼を通して秩序と尊厳を守る覚悟そのものでした。

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