孟子は、儒教五常(仁・義・智・礼・楽)のそれぞれの根本を解き明かし、
それらがすべて「孝」と「悌」――親への孝行、兄や年長者への敬意に立脚していることを説いた。
その実践が心に根づくとき、人はやがて――
「手の舞い足の踏むところを知らず」
つまり、心の底から歓びに満たされ、自然に体が動いてしまうほどの境地に至るのである。
◆ 五常の「実」とは何か?
孟子は以下のように語る:
- 仁の実:親に仕えること、すなわち「孝(こう)」
- 義の実:兄に従うこと、すなわち「悌(てい)」
- 智の実:この「孝」と「悌」を深く理解し、離れないこと
- 礼の実:この二つを節度と形式をもって表現すること
- 楽の実:この二つを心から喜び楽しむこと
つまり孟子にとって、徳の核心は日常の人間関係にあり、家庭の中にこそ修養の根源があるのだ。
◆ 喜びが自然にあふれるとき、人は動く
「楽(たの)しめば、則ち“生”ず」
→ 心が自然に動き出す
「生ずれば、則ち悪んぞ已むべけんや」
→ そうなればもう止められない
「則ち足の之を蹈(ふ)み、手の之を舞(ま)うを知らず」
→ 気づけば体が踊っている
これは、儒教にありがちな「型」「義務」のイメージとは逆に、
**「徳を修めることは、本来、深い歓びと一体である」**という孟子の人間肯定的な思想を示している。
原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く:
- **仁(じん)の実(じつ)**は、親に事(つか)うること是(これ)なり。
- 義(ぎ)の実は、兄に従(したが)うこと是なり。
- 智(ち)の実は、斯(こ)の二者(にしゃ)を知(し)りて去(さ)らざること是なり。
- 礼(れい)の実は、斯の二者を節文(せつぶん)すること是なり。
- 楽(がく)の実は、斯の二者を楽しむことなり。
楽しめば、則(すなわ)ち生(しょう)ず。
生ずれば、則ち悪(いずく)んぞ已(や)むべけんや。
悪んぞ已むべけんやとならば、
則ち足の之を蹈(ふ)み、手の之を舞(ま)うを知らず。
注釈
- 孝(こう):親に対する誠意ある仕え方。
- 悌(てい):兄弟や目上の人への敬意・従順。
- 節文(せつぶん):礼にかなった節度と、見た目の美しさを整えること。
- 生ず:内から自然と湧き上がる活力・意欲。
- 悪んぞ已むべけんや:どうして止められるだろうか、いや止められない。
- 手の舞い足の踏むところを知らず:喜びのあまり自然に体が動いてしまうこと。欣喜雀躍(きんきじゃくやく)の境地。
パーマリンク案(英語スラッグ)
- virtue-starts-at-home(徳は家庭に始まる)
- filial-piety-leads-to-joy(孝が生む真の喜び)
- dancing-without-knowing(知らず踊る、心の躍動)
- ethics-that-make-you-dance(踊り出すほどの徳)
この章は、孟子思想の集大成のような位置にあり、
徳とは自然な喜びと一致し、形式ではなく感動と実感に満ちたものであると語っています。
礼や徳は、厳しい訓戒のように見えるが、本来は心から湧き出る「嬉しさ」とともにある。
それが孟子の理想であり、人間への深い信頼の証です。
原文
孟子曰、「仁之實、事親是也。義之實、從兄是也。智之實、知斯二者弗去是也。禮之實、節斯二者是也。樂之實、樂斯二者。樂則生矣、生則惡可已也、惡可已也、則不知足之蹈之、手之舞之。」
書き下し文
孟子曰く、
「仁の実は、親に事うること是なり。義の実は、兄に従うこと是なり。智の実は、斯の二者を知りて去らざること是なり。礼の実は、斯の二者を節すること是なり。楽の実は、斯の二者を楽しむこと是なり。楽しめば則ち生ず。生ずれば則ち悪(いずく)んぞ已(や)むべけんや。悪んぞ已むべけんやとならば、則ち足の之を蹈み、手の之を舞うを知らず。」
現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 「仁の真の在り方とは、親を大切にすることである。」
- 「義の真の在り方とは、兄(年長者)に従うことである。」
- 「智の真の在り方とは、この二つを理解し、それを捨てないことである。」
- 「礼の真の在り方とは、この二つを適切に節度をもって行うことである。」
- 「楽の真の在り方とは、この二つの実践を心から楽しむことである。」
- 「それを楽しめば、生命の活力が湧いてくる。」
- 「活力が湧けば、どうして止められようか。」
- 「止められなくなれば、人は無意識に足で踏み、手で舞うように生き生きと行動するようになる。」
用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
仁の実 | 「仁」の本質、実際的な具体化。ここでは「親孝行」。 |
義の実 | 「義」の本質。兄や年長者への敬い・服従。 |
智の実 | 知性の本質。仁と義を理解し、それを捨てない知恵。 |
節文(節) | 節度を持って調和させること。無理なく、行き過ぎなく守る礼の働き。 |
樂(楽しむ) | 心からの喜び。実践を通じて得る内面的充足。 |
蹈(ふむ)・舞(まう) | 喜びが身体にあふれて自然に表れるさま。礼楽の極致的描写。 |
全体の現代語訳(まとめ)
孟子は言った:
「仁とは、親を敬い仕えることで実現され、義とは年長の兄に従うことによって体現される。
知恵とはこの“仁”と“義”の価値を理解し、それを見捨てないことである。
礼とはこれらを節度をもって実行することであり、楽とはその実践を心から楽しむことである。
人がこれを楽しめば、命が躍動し、自然にあふれる。
その喜びは抑えられず、ついには足で踏み鳴らし、手で舞うように、全身で生を謳歌するようになる。」
解釈と現代的意義
この章句は、**人間の五徳(仁・義・智・礼・楽)**の根本と、それが内面から自然に表れる過程を明確に示しています。
- 仁と義は家庭内の基本的な倫理であり、そこに人格形成の根がある。
- 智と礼は、その倫理を正しく理解し、適度に社会的に表す能力。
- 楽は、義務ではなく、徳の実践そのものを「楽しむ」内面の成熟。
孟子はここで、徳は「外から教えられるもの」ではなく、内から喜んで湧き出るものだと説いています。
ビジネスにおける解釈と適用
● 徳は“行為”でなく“習慣化された喜び”である
- 顧客に誠実に接する、同僚を尊重する、といった行動は、形式で終わるべきではなく、心からの喜びとして内在化されるべき。
- それができたとき、人は自然に周囲を惹きつけ、活力ある行動を生む。
● 礼節と人間関係の中心は“基本の徹底”
- 社会的な関係は遠いルールや理屈ではなく、「身近な人との仁・義」に始まる。
- 家庭での誠実さを持つ人こそが、職場でも信頼されるリーダーとなる。
● 組織文化に“楽”が生まれると、創造性と行動力が加速する
- 真の“楽”は、個人の倫理的充実と一体化している。喜びをもって働くチームは、礼にあふれ、自然に高いパフォーマンスを発揮する。
ビジネス用心得タイトル
「徳は喜びとなってあふれ出る──“仁義の実践”が人を躍動させる」
この章句は、単なる倫理の枠にとどまらず、**「どう生きるか」ではなく「どう生き生きと生きるか」**を教えてくれます。
ビジネスにおいても、誠実な行為を“喜び”に変える組織文化が、真の成長と感動を生み出すでしょう。
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