― 言葉による秩序回復のために、あえて歴史を記した
孟子は、周王朝が次第に衰え、聖人の道が行われなくなっていったことを語る。
世は乱れ、臣が君を殺し、子が父を殺すという、倫理の崩壊が現実のものとなった。
このような無秩序と道徳の崩壊に直面して、孔子は深く憂い、歴史書『春秋』を編んだのだった。
「孔子、懼れて『春秋』を作る」
― 乱世を前にして、孔子は筆をとった
本来、歴史を裁き、善悪を記すのは天子の役目である。
しかし、その天子すら道を失った時代において、孔子は敢えて越権のそしりを受けることを承知のうえで、『春秋』を著した。
『春秋』の中では、善行をほめ、悪行は峻烈に断罪する。
たとえば、臣下が主君を殺すときは「弑」、他国の者が殺すときは「殺」と書き分けることで、道義と名分を明確に区別した。
このような筆法は、単なる記録ではなく、道徳的判断を言葉で表した政治的行為でもあった。
孔子は次のように言ったという:
「我を知る者は、其れ惟『春秋』か。我を罪する者も、其れ惟『春秋』か」
― 私を真に理解する者があるとすれば『春秋』によってであり、私を咎める者があるとすれば、やはり『春秋』によってであろう
この言葉から分かるのは、『春秋』に孔子の信念と覚悟のすべてが込められていたということ。
それは、権力や混乱に立ち向かうための“静かな反乱”でもあり、筆によって世を導こうとする気概の表れである。
原文(ふりがな付き引用)
「我(われ)を知(し)る者(もの)は、其(そ)れ惟(た)だ『春秋』(しゅんじゅう)か。我を罪(つみ)する者も、其れ惟だ『春秋』か」
注釈
- 春秋(しゅんじゅう)…魯の年代記で、孔子が編集したとされる。五経の一つ。
- 筆法(ひっぽう)…表面的な記録に見せかけながら、文言の使い分けで道義判断を下す手法。のちに「春秋の筆法」として有名になる。
- 弑(しい)…臣や子が主君・父を殺すこと。倫理に反する重大罪を明示する文字。
- 知我者・罪我者…孔子自身の思いを受け止める者、あるいは越権と非難する者。
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(筆は道徳の剣)
この章では、孟子を通して、孔子の沈黙なき抗議=歴史記述による道徳的裁きが語られます。
表面は記録、内実は正義――。
それは、乱世を生きる知識人にとって、剣ではなく言葉によって世界を変える手段であり、後世にまで通じる知の責任と行動の見本でもあります。
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