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王道は、武力を超えた徳の力で民を動かす

― 武王の征伐に民が心から従った理由

孟子は前項に続いて、王道の本質が「力による支配」ではなく、「民の信頼と徳による統治」にあることを、周の武王の征伐を例に挙げて説く。

武王は、暴君・紂(ちゅう)を討ったあとも、なお悪政を行っていた残党を東に征伐し、殷の庶民を安心させた
すると、民は黒や黄の絹を箱に詰め、喜んで周王に帰属の意思を示した。
役人たちは布を、庶民たちは食べ物と飲み物を持ち、自ら進んで武王の軍を迎え入れたのである。

その理由はただ一つ、武王の軍が「民を水火の苦しみから救ってくれる」と知っていたからだ。

「民を水火の中より救い、其の残を取りしが為のみ」
― 民を苦しみから救い、残虐な者を取り除いたがゆえに支持された

『書経』の「太誓篇」にも、武王の威徳が広がった様子が次のように記されている:

「我が武(たけ)び惟(こ)れ揚がり、之が疆(さかい)を侵す。則ち残を取り、殺伐用(もっ)て張る」
― 武王の威徳が高まり、暴を討って征伐の効果が広がった

しかもこの栄光は、かの湯王が暴君・桀(けつ)を討ったとき以上に輝いていた。
孟子はここで力強く断言する。

「苟(まこと)に王政を行わば、四海の内、皆首を挙げて之を望み、以て君と為さんことを欲せん」
― 真に王道を行うならば、天下は皆その者を王に迎えようとする

したがって、宋のような小国が王道政治を行おうとするなら、斉や楚といった大国を恐れる必要はない
それが本当に王道であるなら、民の心が味方につき、四方の支持を集めるからである。


原文(ふりがな付き引用)

「民(たみ)を水火(すいか)の中(なか)より救(すく)い、其(そ)の残(ざん)を取(と)りしが為(ため)のみ」
「苟(まこと)に王政(おうせい)を行(おこな)わば、四海(しかい)の内(うち)、皆(みな)首(こうべ)を挙(あ)げて之(これ)を望(のぞ)み、以(もっ)て君(きみ)と為(な)さんことを欲(ほっ)せん」


注釈

  • 武王(ぶおう)…周王朝の創始者。暴君・紂を討ち、仁政を敷いた英雄。
  • 残(ざん)…残虐な者、暴政の継続者たち。
  • 簞食壺漿(たんし こしょう)…庶民が兵に差し出す食事と飲み物。自発的な歓迎の象徴。
  • 太誓(たいせい)…『書経』の一篇。武王の征伐の正当性を記す。
  • 王政(おうせい)/王道(おうどう)…徳と義を基盤にした統治。利や覇ではなく、民の幸せを第一とする政治思想。

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この章は、王道と覇道の決定的な違いを描き出しています。武力をもってしても、それが徳と正義に裏打ちされたものであれば、民はそれを“恵み”として受け入れる――孟子の政治哲学の核心です。

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