― 仁義を体現する者は、物を作る者と同じく価値をもつ
弟子・彭更(ほうこう)は、孟子の旅の規模――数十台の車列と何百人もの従者――を見て、「諸侯の国々を回って食禄を得るのは分に過ぎたものではないか」と疑問を呈した。
孟子はこれに対して明快に言う。
「正しい道に基づかないのであれば、一杯の飯ですら受け取ってはならない。だが、正しい道に基づいているのであれば、天下を譲られても『過ぎた』とは言えない」。
つまり、形式や規模ではなく、その受け取り方に正しさ(道義)があるか否かが重要なのだと。
彭更はなお問い詰める。「士が何の働きもしていないのに食禄を得るのはよくないのではないか」と。
これに孟子は、士の社会的役割を経済の中に置き直して説明する。
農夫が穀物をつくり、女工が布をつくる。しかし流通と調整がなければ、布はあれど食がなく、食はあれど衣がない――その混乱を治めるのが政治家である。
そして、その秩序を根底から支えるのが、仁義と礼の道を説き、守り、伝える士なのだ。
たとえば、家では孝行を尽くし、外では目上を敬い、先王の道を学び、後進に教え伝える者がいるとしよう。その者が食べてはならないのだとしたら、社会は建具屋や車大工を尊びながら、心の柱を築く者を軽んじていることになると、孟子は問い返す。
「子(し)、何(なん)ぞ梓(し)・匠(しょう)・輪(りん)・輿(よ)を尊(たっと)んで、仁義(じんぎ)を為(な)す者を軽(かろ)んずるや」
― 物を作る人を尊び、心を育む人を侮るのか
孟子は、「士」=社会の精神的支柱としての役割を担う存在を、実務労働と同等以上の価値をもつものとして明確に位置づけている。
原文(ふりがな付き引用)
「其(そ)の道(みち)に非(あら)ざれば、則(すなわ)ち一簞(いったん)の食(し)も人より受(う)く可(べ)からず。如(も)し其の道ならば、則ち舜(しゅん)、堯(ぎょう)の天下を受くるも、以(もっ)て泰(たい)なりと為(な)さず」
注釈
- 伝食(でんしょく)…諸侯を巡って食禄を得ること。
- 泰(たい)…ぜいたく・分不相応の意味。
- 一簞の食(いったんのし)…一杯の飯。最小単位の糧食。
- 梓・匠・輪・輿(し・しょう・りん・よ)…それぞれ建具屋、大工、車輪職人、車台職人。社会インフラの技術職。
- 入りては孝、出でては悌(た)…家では親に孝行し、外では目上を敬う。古代の理想的な人物像。
- 後の学者を待つ…後進に正しい道を伝えようとすること。
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