― 志ある者は、ただ黙して時を待つにあらず
魏の周霄が孟子に問う。「昔の君子は、本当に君に仕えていたのか」と。
これは孟子が積極的に仕官せず、あくまで自らの節を守る姿勢を貫いていることに対する、皮肉を込めた問いでもあった。
孟子は答える。「もちろん仕えた。孔子は三ヶ月も仕える君がいなければ、うろうろと落ち着かない様子だった。国境を出るときには、次の君主と出会う準備として、礼物(質)を車に載せていたという」。
また、公明儀も「昔の人は三ヶ月も仕えない者がいたら、弔問のように気遣った」と語っている。
つまり、君子とは仕えることを避けるのではなく、「仕えるに足る君」を誠実に待ち、その機をうかがっていたということである。
孟子自身もまた、節義を曲げてまで地位を求めるのではなく、「賢君を待つ」姿勢を貫いていた。その点で、孔子の「美玉を磨きながら、よき商人(賢君)を待つ」心と同じである。
「孔子(こうし)三月(さんげつ)君(きみ)無(な)ければ、則(すなわ)ち皇皇如(こうこうじょ)たり」
― 仕える相手がいなければ、落ち着かぬ様子でいた
仕官を拒むのではなく、志を曲げてまで仕えない。
孟子の姿勢は、「誰にでも仕える」でもなく、「誰にも仕えない」でもなく、「仕えるに足る君を選ぶ」という、君子としての誠実なあり方を示している。
原文(ふりがな付き引用)
「孔子(こうし)三月(さんげつ)君(きみ)無(な)ければ、則(すなわ)ち皇皇如(こうこうじょ)たり。出疆(しゅつきょう)すれば必(かなら)ず質(しつ)を載(の)す」
注釈
- 周霄(しゅうしょう)…魏の人。孟子に皮肉を交えて問うた。
- 皇皇如(こうこうじょ)…うろうろと不安な様子。志がありながらも、時を得ず苦悩する姿。
- 質(しつ)…礼物。次の君主と出会う際に持参する謙譲のしるし。
- 弔す(ちょうす)…「君がいない」状態を気遣う表現。職のない状態を不幸と見る古の価値観。
- 美玉を沽らん(うらん)かな…論語「子罕第九」より。名玉は商人(賢君)に売るべきかどうかと、自らの処遇をたとえた孔子の言葉。
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