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曲げた己には、他人を正す力は宿らない

― 志を貫くためには、己を偽らない覚悟が要る

孟子は、志士としての節義を貫くため、諸侯にへりくだることを拒み続けた。
前項の続きとして、彼は趙簡子とその御者・王良の逸話を引いて、信念を曲げてまで成果を追う愚かしさを語る。

名御者・王良は、礼法に則って車を御したときには一匹の獲物も得られなかったが、寵臣・奚に合わせて定めを破ると、多くの獲物を得た。
だが王良はそれを恥とし、「小人と同じ車には乗れない」と、御者の役目を辞退した。

孟子は言う。御者ですら自分を曲げて成果を出すことを恥とする。ならば、人の上に立つ者が、道を曲げて人に迎合するなどもってのほかだ。
己を偽ることに慣れた人間が、他人を真っ直ぐに導けるはずがない。これは、為政者・指導者にとっての厳しい自己省察である。

「己(おのれ)を枉(ま)ぐる者は、未(いま)だ能(よ)く人を直(なお)くする者あらざるなり」
― 自らを偽る者に、人を正す力はない。

この言葉には、他人の誤りを指摘する前にまず己を正すべきだという孟子の倫理観が凝縮されている。
利にとらわれず、志に従う。自分を曲げて得た成功は、やがて人の心を曲げるという警鐘でもある。


原文(ふりがな付き引用)

「己(おのれ)を枉(ま)ぐる者は、未(いま)だ能(よ)く人を直(なお)くする者あらざるなり」


注釈

  • 嬖奚(へいけい)…趙簡子の寵臣。名は奚。
  • 詭遇(きぐう)…礼法を破り、相手に無理に合わせること。正道をはずれた迎合。
  • 貫わず(なれず)…一緒に行動することに慣れていない。拒否の意。
  • 比する(ひする)…へつらって同調すること。
  • 己を枉ぐ(おのれをまげる)…自分の正しさ・本分をゆがめて行動すること。

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