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正しさを貫く覚悟は、礼を守るところにあらわれる

― 苦境を恐れず、利に惑わされない志士の姿勢

孟子は、諸侯にへりくだって会おうとしない理由を、弟子の陳代に問われた。
陳代は「わずかに自分を曲げてでも、諸侯と会えば大きなことが成し遂げられる」と説く。だが孟子は、形式であっても礼を欠く招きには応じるべきではないと断じた。

たとえ自分の身を谷にさらすような苦境にあっても、正しい礼に従う。それが志士の覚悟であり、勇士の節義なのだと。
「一尺を曲げて八尺をまっすぐにする」ということわざも、利益を得るための知恵に過ぎず、人としての道理や志とは関係ない。礼を軽んじて利益を得るなら、やがては正しきものすらも曲げるようになる。それは孟子の志ではない。

「志士(しし)は溝壑(こうがく)に在(あ)るを忘れず。勇士(ゆうし)は其(そ)の元(こうべ)を喪(うしな)うを忘れず」
― 志をもつ者は苦しみを、勇をもつ者は死を恐れない。

孟子は形式の正しさ=礼の遵守を、単なる儀式とは見なさなかった。
礼を守ることは、心の在り方そのものであり、社会を支える根本だと信じていた。
だからこそ、自ら礼を曲げてまで諸侯に近づくことを「ありえない」と退けたのである。


原文(ふりがな付き引用)

「志士(しし)は溝壑(こうがく)に在(あ)るを忘(わす)れず。勇士(ゆうし)は其(そ)の元(こうべ)を喪(うしな)うを忘(わす)れず。孔子(こうし)は何(なに)をか取(と)れる。其(そ)の招(まね)きに非(あら)ざれば往(ゆ)かざるを取(と)れるなり」


注釈

  • 志士(しし)…正義や礼を貫こうとする人。幕末の志士にもこの言葉は影響を与えた。
  • 溝壑(こうがく)…溝や谷。転じて困窮や苦境の象徴。
  • 元(こうべ)を喪(うしな)う…命を失うこと。
  • 旌(せい)…本来は大夫(身分ある人)を招く旗。係員には「皮冠」を用いるのが礼。
  • 枉尺而直尋(わんせきじちょくじん)…「一尺を曲げて八尺をまっすぐにする」の意。功利主義のたとえ。
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