正論を超えるのは、人情と理が合わさった言葉である
孟子は語る:
「昔の時代には、親が死んでも葬らない人々がいた。
死んだ親を谷に捨て、そのまま放置していた」
だが、ある日その谷を通りかかると――
- 狐や狸が死体を食い、
- 蠅やぶよ、けらが群がってむさぼる
それを見た者の額には、思わず冷や汗がにじんだ。
ちらっと見るだけで、直視することができなかった。
本当の涙は「他人の目」のためではない
孟子は言う:
「その冷や汗は、人目を気にして流れたのではない。
心の底からこみ上げた、親に対する思いだった」
それゆえに、人々は家に帰り、
- もっこ(虆)や土車(梩)を用意して
- 土を運び、親の遺体を丁寧に埋葬するようになった
このような経緯で始まったのが、「葬る」という文化である。
それは「形」ではなく、「自然な情」と「理」が合致した行為だったのだ。
本章の主題
孟子がここで伝えたいのは、以下の3点です:
- 人間にはもともと、親を敬う「心のはたらき」が備わっている
- それが文化や制度としての「厚葬(ていねいな葬送)」につながった
- したがって、「孝子(こうし)や仁人(じんじん)」が親を厚く葬るのは、人間として自然な行為である
対話の結末:夷之の反応
この話を孟子の弟子・徐子が夷之に伝えると――
夷之はしばらく無言となり、静かに考え込んだのち、
やがて口を開き、こう言った:
「孟子は、私によく教えてくれました」
まさに、理詰めでは届かない「感情と理性の融合」こそが、思想の壁を超える力を持つことを示した瞬間です。
引用(ふりがな付き)
夫(そ)の泚(し)たるや、人(ひと)の爲(ため)に泚たるに非(あら)ず。
中心(ちゅうしん)より面目(めんもく)に達(たっ)するなり。
蓋(けだ)し帰(かえ)り、虆梩(るいり)を反(かえ)して之(これ)を掩(おお)えり。
徐子(じょし)以(もっ)て夷子(いし)に告(つ)ぐ。
夷子(いし)憮然(ぶぜん)として間(しばら)くして曰(い)わく、之(これ)に命(めい)ぜり。
簡単な注釈
- 虆(るい)・梩(り):土を運ぶ道具(もっこや土車)。人力で土をかけて葬るという丁寧な行為の象徴。
- 泚(し):冷や汗を流すこと。心の底から湧き出る情の表れ。
- 掩(おお)う:土をかけて遺体を覆う=葬るという行為。
- 憮然(ぶぜん):言葉もなく黙り込むさま。感情に打たれて思わず沈黙した情景。
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この章は、孟子の思想が単なる理論や論争ではなく、人間の情と理に根ざしたものであることを象徴する一節です。
そしてそれが、対立していた思想(墨家)にも受け入れられる「説得力」を持つという事実は、孟子の人間理解の深さと誠意を証明しています。
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