変化は成長であれ。退化ではない
孟子は、弟子たちが南方の思想家・許行の説に心酔し、本来の師や伝統の教えを捨てていることに激しく反論する。
許行とは何者か
- **南蛮(なんばん)**と呼ばれる文化的辺境の地の出身
- 鴃舌(げきぜつ)――もずの鳴き声のように、何を言っているのか分からない(=理解不能・稚拙な思想)
- しかも、先王(=周公や孔子)の道を否定している
そして孟子は言う:
「あなたは、自分の師を裏切って、そんな許行の教えを学んでいる。
それは曾子のような誠実な弟子の姿勢とは、まるで違う」
高き木に登る者、谷に戻ることなし
孟子はたとえを用いる。
「私は、暗い谷間から高木に移る鳥の話は聞いたことがある。
だが、高木から谷間に降りる鳥の話は、聞いたことがない」
つまり:
- 向上を志すのは当然
- 退化するような選択は道理に反する
『詩経』と周公の行動を引用して
孟子は『詩経』の「魯頌」から引用する:
「戎狄(じゅうてき)を討ち、荊舒(けいじょ)をこらしめた」
これは、文明を守るために野蛮を討ったという記録である。
実際に、周公もこのように周辺の異民族を討伐して文化秩序を築いたのだ。
「ところがあなたは、その荊舒のような野蛮の教えを学んでいる」
それは、「良い方向への変化」では決してない
むしろ、文明から退行する選択だ――と孟子は断言する。
本章の主題
この章で孟子が最も訴えたのは、次のような警句に集約される:
「変わることは必要だ。しかし、変わる方向を間違えるな」
学びや思想の世界において、単に「新しいから」「異端だから」ではなく、それが高き方向なのか、低き方向なのかを見極めよというメッセージである。
引用(ふりがな付き)
吾(われ)、幽谷(ゆうこく)を出(い)でて喬木(きょうぼく)に遷(うつ)る者(もの)を聞(き)く。未(いま)だ喬木(きょうぼく)を下(くだ)りて幽谷(ゆうこく)に入(い)る者(もの)を聞(き)かず。
子(し)は是(これ)を学(まな)ぶ。亦(また)善(よ)くは変(へん)ぜずと為(な)す。
簡単な注釈
- 南蛮・荊舒(けいじょ):中国文明の外縁とされた地域の象徴。ここでは「未開」「退化」の比喩。
- 鴃舌(げきぜつ):理解不能な言語=非論理的、稚拙な思想という批判。
- 喬木(きょうぼく)と幽谷(ゆうこく):高潔な道と卑しき道の象徴的対比。
- 魯頌:『詩経』の一編。儒教における道徳と秩序の源泉。孟子はこの典拠をしばしば用いる。
パーマリンク候補(スラッグ)
- change-for-the-better(変わるなら良き方へ)
- don’t-descend-from-wisdom(知から無知へ落ちるな)
- right-direction-of-change(正しく変わるということ)
この章は、孟子が思想の退化を痛烈に批判する姿勢を最も明確に示した場面です。
学びの自由は認めつつも、進化と退行の境界線を見極めよという、知者としての警告が込められています。
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