真の自立とは、他者と関わることから始まる
許行の弟子となった陳相が「聖人は民と共に耕し、生活も自ら担うべきだ」と主張したのに対し、孟子は彼の主張の矛盾をつく鋭い対話を展開する。
孟子の問いとその核心
- 「許子は必ず穀物を自分で作るのか?」
→ 「はい」 - 「布は自分で織るのか?」
→ 「いいえ、穀物と交換します」 - 「冠は自分で織ったのか?」
→ 「いいえ、交換したものです」 - 「釜や農具は自分で作ったのか?」
→ 「いいえ、陶工や鍛冶屋と交換しました」
孟子は指摘する:
「農民が陶工と道具を交換しても、陶工を苦しめることにはならない。
陶工が道具で穀物を得ても、農民を苦しめることにもならない。
にもかかわらず、どうして許子は何でも自分で作るべきだと言いながら、実際には職人と交換しているのか?」
つまり、人は必ず他者に依存し、互いの役割を交換しながら社会を成り立たせている。
最後に孟子は痛烈に言い放つ:
「どうしてそんなに煩わしい交換をしておきながら、それを『賢者の道』だとするのか?
百の職人の仕事をすべて一人で担うなど、不可能なのは明らかだろう」
本章の主題
孟子がここで示したのは、理想主義に陥った極論への現実的な反論であり、
人間社会は、分業と相互依存によって構成されているという社会認識である。
- 自給自足は美徳に見えても、それは他者の存在があって初めて可能
- 賢者とは、社会の仕組みを理解し、役割分担の中で徳を行う者
引用(ふりがな付き)
粟(ぞく)を以(もっ)て械器(かいき)に易(か)うるは、陶冶(とうや)を厲(くる)しむと為(な)さず。陶冶(とうや)も亦(また)其(そ)の械器を以(もっ)て粟に易(か)うるは、豈(あ)に農夫(のうふ)を厲(くる)しむと為(な)さんや。
何(なん)ぞ許子(きょし)は紛紛然(ふんぷんぜん)として百工(ひゃっこう)と交易(こうえき)する。何(なん)ぞ許子(きょし)の煩(わずら)いを憚(はばか)らざるや。
簡単な注釈
- 陶冶(とうや):陶工(焼き物職人)と鍛冶(鉄工職人)の総称。
- 交易(こうえき):物と物との交換。相互補完による社会的活動。
- 紛紛然(ふんぷんぜん):ごたごたと混乱し、煩雑なさま。
- 百工(ひゃっこう):さまざまな職人たちのこと。多様な専門職。
パーマリンク候補(スラッグ)
- we-need-each-other(人は互いに必要とされる)
- no-one-lives-alone(一人では生きられない)
- division-of-labor-is-wisdom(分業こそが知恵)
この章は、社会の根源的構造=相互補完・分業の認識を明らかにし、「理想のために孤立する」のではなく「他者と協調して生きる」ことの価値を示しています。
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