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志が定まらないうちは、禄(ろく)を受け取るべきではない

孟子が斉を去り、休(きゅう)という地に滞在していたとき、弟子の**公孫丑(こうそんちゅう)**が問うた。

「先生は斉に仕えながらも、禄(給料)を受け取られませんでした。
これは、古の聖人の伝統に則ってのことでしょうか?」

この問いに対し、孟子ははっきりと否定する。

「いや、そうではない。禄を受け取らないことが、古の道だというわけではない」

孟子が斉王から禄を受け取らなかったのは、礼の形式ではなく、自分の“志”のあり方に対する誠実さゆえだった。


目次

自分の志が定まらないうちは、私欲に引きずられてはいけない

孟子はこう語る:

「私は崇(すう)という地で斉王に謁見したが、御前を下がったとき、
王とは考えが合わず、斉を去る決意を抱いた。
このまま禄を受け取れば、自分の志が揺らいでしまうかもしれないと思った。
だから、あえて禄を辞退した
のだ」

孟子は、形式よりも心の清廉さと志の純度を守ることを重んじたのである。
禄を受ければ、王に媚びるような行動を強いられたり、自分の自由な諫言が失われるかもしれない。
中途半端な気持ちで受け取るべきものではないという強い自律がここに見られる。


望まずして長く仕えたのは、自分の志ではなかった

さらに孟子はこう続ける:

「その後、すぐに**戦争(=師命)**が続いて起こり、斉に留まらざるを得なかった。
斉に長くいたのは、私の本意ではなかったのだ」

孟子は、王が変わってくれることを信じ、幾度も説き続けた。
だが、ついに王道は実現せず、志は果たされなかった。

それでも彼は、最後まで禄を受け取ることはなく、内面の誠実さを守り抜いた
この姿勢は、まさに「君子の自律と一貫性」の象徴である。


原文(ふりがな付き引用)

孟子(もうし)、斉(せい)を去(さ)りて休(きゅう)に居(お)る。
公孫丑(こうそんちゅう)問(と)うて曰(い)わく、

「仕(つか)えて禄(ろく)を受けざるは、古(いにしえ)の道(みち)か」

孟子曰(い)わく、

「非(ひ)なり。
崇(すう)に於(お)いて吾(われ)、王(おう)に見(まみ)ゆることを得(え)て、退(しりぞ)いて**去(さ)る志(こころざし)**あり。
変ずるを欲(ほっ)せず。故(ゆえ)に受(う)けざるなり。

継(つ)いで師命(しめい)あり、以(もっ)て請(こ)うべからず。
斉に久しきは、我が志に非(あら)ざるなり


注釈(簡潔な語句解説)

  • 禄を受けざる:俸給を受け取らない。形式ではなく、志との整合性を問う選択。
  • 崇(すう):孟子が最初に斉王と面会した場所。
  • 変ずるを欲せず:志を曲げたくない。心をぶれさせたくない。
  • 師命(しめい):戦争が起こり、辞する機会を失ったこと。
  • 志に非ざる:自らの本意・意思ではなかった。

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  • no-salary-without-conviction(信念なき禄は受けぬ)
  • integrity-over-income(収入よりも誠実を)
  • stay-true-under-pressure(状況に流されず、志を守る)

この章は、孟子の「実利よりも信義を重んじる態度」を象徴する場面です。
たとえ戦争で辞められずとも、心が定まらないうちは禄を受けず、王に仕える者としての節義と清廉さを貫いた。

それは、他人から見れば「頑な」にも見える態度かもしれません。
しかし孟子にとっては、「正しく在ること」がすべての根本であり、その一点を崩すことは絶対にできなかったのです。

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