孟子が斉を去ったあと、斉の家臣である**尹士(いんし)**という人物が、孟子の行動を批判した。
彼はこう言った:
「斉の王に王道の器がない(湯王・武王のような偉大な王者になれない)ことがわからずに来たのなら、孟子は先が見えない愚者だ。
もし知っていて来たのなら、それは王からの高禄を得るためだったのだろう。
それに千里もの道を経て王に会い、合わなかったからと去ったのは結構だが、
去るならすぐに去ればよいものを、昼の村に三泊してようやく出発したなど、
ぐずぐずしていて未練がましい。私はその態度が気に入らない」
このような裏読み・揶揄・悪意のある憶測を込めた非難を、孟子の弟子**高子(こうし)**が孟子に伝えた。
嫌われる覚悟と、誤解されることの耐性
この章でのポイントは、孟子の態度そのものというより、**「誠を尽くしても、誤解したり中傷する者は必ず現れる」**という厳しい現実にある。
尹士の言葉は、孟子の行動や内心を勝手に解釈し、あらゆる角度からケチをつけようとする人間心理を表している。
- 「王者の器がないことに気づかなかったなら愚か」
- 「気づいていたなら目当ては金」
- 「去るのはいいが、三泊するのは未練がましい」
――つまり、何をしても否定される構造であり、孟子のように道を説いて行動した人物にすら、こうした中傷が降りかかることがある。
この章は、まさに孟子が後に語る「毀誉(きよ)は他人のもの、我が志は我にあり」という信念に通じていく伏線でもある。
原文(ふりがな付き引用)
孟子(もうし)、斉(せい)を去(さ)る。
尹士(いんし)、人(ひと)に語(かた)りて曰(い)わく、
「王(おう)の以(も)って湯・武(とう・ぶ)たるべからざるを識(し)らざれば、則(すなわ)ち是(こ)れ**不明(ふめい)**なり。
其(そ)の不可(ふか)なるを識(し)りて、然(しか)も且(なお)至(いた)りしならば、則ち是(こ)れ沢(たく)を干(もと)むるなり。
千里(せんり)にして王(おう)に見(まみ)え、遇(ぐう)わざるが故(ゆえ)に去(さ)る。
三宿(さんしゅく)して而(しか)る後(のち)昼(ちゅう)を出(い)づるは、是(こ)れ何(なん)ぞ**濡滞(じゅたい)**なるや。
士(し)は則(すなわ)ち茲(ここ)に悦(よろこ)ばず」
高子(こうし)以(も)って告(つ)ぐ。
注釈(簡潔な語句解説)
- 湯・武(とう・ぶ):古代中国の聖王。理想の王道政治を行った王者の象徴。
- 不明:判断力がない。物事を見抜く力が乏しいという非難。
- 沢を干むる:高俸(恩沢)にあずかろうとする下心。出世目当てとみなす中傷。
- 濡滞(じゅたい):ぐずぐずする、未練がましい。潔くないとの否定的評価。
- 三宿して出昼:孟子が途中の村に三泊してから出発した様子を「迷い」と見なした。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
- critics-will-criticize(批判者は必ず現れる)
- even-the-wise-are-judged(賢者ですら裁かれる)
- stay-true-amid-judgment(誹りの中でも志を貫け)
この章は、世間の目に正しく理解されるとは限らないという現実と、
それでも人は自らの志に従って行動しなければならないという、孟子の生き方の一面を描いています。
誤解や中傷は避けられない。だが、それを恐れて道を曲げるなら、それこそが本当の失敗なのだ――
そんな孟子の無言の姿勢が、この章にはこめられています。
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