孟子は、斉の王の客卿として長年「王道政治」の実現を説いてきたが、斉王はなかなかそれに従おうとしなかった。
そのため、孟子はついに自ら官を辞し、故郷に帰った。
すると、これまでどこか軽んじたような態度を見せていた斉王が、わざわざ孟子の家を訪れて言う。
「私は、ずっと先生にお会いしたいと願っていたのに、それがかなわなかった。
それが叶って同じ朝廷に立つことができ、とても喜んでいた。
なのに、先生は私を見限って帰ってしまわれた。これからも、またお会いすることができるでしょうか」
孟子は、それに対して丁寧に答える。
「私は、自分からお願いするつもりはありませんが、再びお会いできることを願っております」
孟子は、去る者の礼節と矜持を保ちながらも、情を残す態度を示した。
それでも王は諦めず、名誉と財をもって引き止めようとする
後日、斉王は側近の**時子(じし)**にこう語る。
「私は、斉の中心部に孟子のための住まいを与え、弟子たちを育てるために万鐘の禄を与えようと思っている。
また、諸大夫や国民すべてが孟子を敬い、模範とするようにしたい。
お前が代わりに、これを孟子に伝えてくれないか」
時子は、孟子の弟子である**陳子(ちんし)**を通じて、この思いを孟子に伝えた。
これは一見、王の誠意ある再招請のように見えるが、同時に孟子がその場を自主的に離れた重みをも感じさせる。
10年という長い歳月をかけて忠告し、それでも変わらない王に対して、孟子は最終的な決断として“見切り”をつけたとも読める。
それは、あくまで自分の「道」を汚さぬための判断であり、同時に王に最後の「余白」を残す、絶妙な君子の振る舞いである。
原文(ふりがな付き引用)
孟子(もうし)、臣(しん)たることを致(いた)して帰(かえ)る。
王(おう)就(いた)りて孟子(もうし)を見(まみ)えて曰(い)わく、
「前日(ぜんじつ)は見(まみ)えんことを願(ねが)いて得(え)べからざりき。
侍(じ)して朝(ちょう)を同(とも)にすることを得(え)て、甚(はなは)だ喜(よろこ)べり。
今(いま)また寡人(かじん)を棄(す)てて帰(かえ)る。識(し)らず、以(もっ)て此(こ)れに継(つ)いで見(まみ)ゆることを得(え)べきか」
対(こた)えて曰(い)わく、
「敢(あ)えて請(こ)わざるのみ。固(もと)より願(ねが)う所(ところ)なり」
他日(たじつ)、王(おう)、時子(じし)に謂(い)いて曰(い)わく、
「我(われ)、中国(ちゅうこく)にして孟子(もうし)に室(しつ)を授(さず)け、弟子(でし)を養(やしな)うに**万鐘(ばんしょう)**を以(もっ)てし、
諸大夫(しょたいふ)・国人(こくじん)をして皆(みな)**矜式(きょうしょく)**する所有(しょゆう)らしめんと欲(ほっ)す。
子(し)盍(なん)ぞ我(われ)が為(ため)に之(これ)を言(い)わざる」
時子、陳子(ちんし)に因(よ)って、以(もっ)て孟子(もうし)に告(つ)げしむ。
注釈(簡潔な語句解説)
- 致す(ちす):職を辞する、辞任する。
- 中国(ちゅうこく):国の中心部、都のこと。
- 万鐘(ばんしょう):膨大な禄(給料)。弟子を養うにも十分すぎる厚遇。
- 矜式(きょうしょく):敬って手本とすること。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
- know-when-to-leave(引き際を知る)
- ten-years-of-patience(十年の忍耐)
- respect-through-boundaries(距離が示す尊敬)
この章句は、孟子がいかに情と理の間で揺れながらも、己の信念を貫いた人物であるかを物語ります。
「去る」ことは敗北ではなく、「正しい変化が訪れない場から、自分の徳を守る」ための選択でもあるのです。
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