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言葉には責任が伴う──問われた場に応じて語るべき「道理」の重さ

燕の国が、斉によって討たれた。
ある者が孟子に問う。「先生が斉に、燕を討てと勧めたそうですね。本当ですか?」

孟子はこう答える。
「私は燕を討てと“勧めて”はいない。沈同が『燕は討つべきでしょうか?』と聞いたので、私は『討つべきだ』と答えた。
だが、もし彼が『誰が燕を討つべきか?』と尋ねたなら、私はこう答えていただろう。
『それは天命を帯びた者、つまり“天吏(てんり)”たる正当な存在でなければならない』と」

孟子はさらに比喩で語る。
「たとえば人殺しがいたとして、ある者が『この者は殺されるべきか?』と聞いてきたら、私は『殺すべきだ』と答える。
だが、もし『誰が殺すべきか?』と問われたら、それは“士師(しし)”すなわち裁判官の役割であると答えるだろう」

つまり孟子が問われたのは「是非」であり、「実行主体」について問われたのではなかった。
だから彼は、道義上の判断として「討つべき」と答えたに過ぎない。だが結果として、それが斉の軍事行動を正当化するかのように使われてしまった。

孟子はここで、自らの意図とは異なる文脈で、自身の言葉が政治的に利用されたことに対する無念と悔しさをにじませている。
斉は本来「王道(おうどう)」を実現すべき国であり、孟子もそれを期待していた。だが現実には斉は乱れたまま、自らもまた“乱れた燕”の一つとなって、暴力的に他国を征伐してしまった。

孟子はそれを**「燕を以て燕を伐つ」**――すなわち、道理に外れた国が、同じく道理を失った国を討っただけにすぎないと断じる。


原文(ふりがな付き引用)

斉人(せいじん)、燕(えん)を伐(う)つ。或(ある)ひと問(と)うて曰(い)わく、
斉(せい)を勧(すす)めて燕を伐たしむ。諸(これ)有(あ)りや。

曰(い)わく、未(いま)だし。沈同(しんどう)問(と)う、燕伐つべきか、と。
吾(われ)之(これ)に応(こた)えて曰(い)わく、可(か)なり、と。彼(かれ)然(しか)り而(し)して之(これ)を伐(う)てるなり。

彼(かれ)如(も)し孰(たれ)か以(もっ)て之(これ)を伐(う)つべきか、と曰(い)わば、
則(すなわ)ち将(まさ)に之(これ)に応(こた)えて曰(い)わんとす、天吏(てんり)たらば則(すなわ)ち以(もっ)て之(これ)を伐(う)つべし、と。

今(いま)、人(ひと)を殺(ころ)す者(もの)有(あ)らんに、或(ある)ひと之(これ)を問(と)うて曰(い)く、
人(ひと)殺すべきか、と。則(すなわ)ち将(まさ)に之(これ)に応(こた)えて曰(い)わんとす、可(か)なり、と。

彼(かれ)如(も)し孰(たれ)か以(もっ)て之(これ)を殺(ころ)すべきか、と曰(い)わば、
則(すなわ)ち将(まさ)に之(これ)に応(こた)えて曰(い)わんとす、士師(しし)たらば則(すなわ)ち以(もっ)て之(これ)を殺(ころ)すべし、と。

今(いま)、燕(えん)を以(もっ)て燕(えん)を伐(う)つ。何(なん)すれど之(これ)を勧(すす)むべけんや。


注釈(簡潔な語句解説)

  • 天吏(てんり):天命を体現し、正義を実行する者。ここでは正当な討伐権を持つ王道の為政者を指す。
  • 士師(しし):裁判官。法律に基づいて刑を執行する正当な権限を持つ者。
  • 燕を以て燕を伐つ:本来討たれる側と変わらないような国(斉)が、正義の名の下に他国(燕)を討ったことへの皮肉な表現。

パーマリンク候補(英語スラッグ)

  • words-have-consequences(言葉には責任が伴う)
  • justice-needs-legitimacy(正義には正統が要る)
  • right-judgment-wrong-hands(正論でも誤った手に渡れば害)

この章は、孟子の道義的信念と、その言葉が現実の政治にどのように“歪めて”利用され得るかを描いています。
「正しいことを言ったからといって、それが正しく使われるとは限らない」――言葉の重み、問いかけの形、そしてそれを受け取る側の力量がいかに重要であるかを、深く考えさせる一節です。

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