孟子が斉の国で客卿として仕えていたある時、王の命によってある国へ弔問に出向くことになった。同行したのは、王が寵愛する重臣・王驩(おうかん)。
王驩は、旅の道中、朝夕に孟子に会いに来ては礼を尽くしたが、弔問という使命の本題について、孟子は一度も話すことをしなかった。
帰国後、それを不思議に思った弟子の公孫丑が尋ねる。
「先生は卿という高位におられますし、斉からの旅も簡単ではない距離でした。それだけの重任を担っておきながら、一度も王驩と仕事の話をしないのはなぜですか?」
孟子は静かに答える。
「すでにその仕事を取り仕切っている者がいるのだから、私が口を出すことはない」
この言葉は、単なる遠慮や無関心を意味するものではない。
人にはそれぞれ役割があり、それを尊重するのが礼の道であり、君子の態度であるという孟子の考えがそこにある。
孟子が王驩を信用していたかどうかは別として、自分の役割を冷静に見定め、「出しゃばらない慎み」を貫いたのである。
孟子はいつも、立場にふさわしい行動を取ることを重んじる。
任されてもいない仕事にあれこれ口を出すのではなく、状況と自分の役割を弁え、必要なときにだけ動く――その静かな姿勢に、真の自尊と自律がある。
原文(ふりがな付き引用)
孟子(もうし)、斉(せい)に卿(けい)たり。出(い)でて某(なにがし)に弔(ちょう)す。
王(おう)、蓋(がい)の大夫(たいふ)王驩(おうかん)をして輔行(ほこう)たらしむ。
王驩(おうかん)、朝暮(ちょうぼ)に見(まみ)ゆ。斉(せい)・某(なにがし)の路(みち)を反(かえ)し、未(いま)だ嘗(かつ)て之(これ)と行事(こうじ)を言(い)わざるなり。
公孫丑(こうそんちゅう)曰(い)わく、斉卿(せいけい)の位(くらい)は、小(しょう)と為(な)さず。
斉(せい)・某(なにがし)の路(みち)は、近(ちか)しと為(な)さず。之(これ)を反(かえ)して未(いま)だ嘗(かつ)て与(とも)に行事(こうじ)を言(い)わざるは、何(なん)ぞや。
曰(い)わく、夫(そ)れ既(すで)に之(これ)を治(おさ)むる或(もの)有(あ)り。予(われ)何(なに)をか言(い)わんや。
注釈(簡潔な語句解説)
- 卿(けい):高位の役人。ここでは他国から迎えられた「客卿」。
- 輔行(ほこう):随行して補佐すること。副使のような役割。
- 反す:往復すること。
- 行事(こうじ):任務、公務。ここでは弔問の実務。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
- know-your-role(自分の役割を知る)
- quiet-authority(静かな権威)
- respect-for-boundaries(役割の尊重)
この章は、孟子の「出しゃばらずにして、道をわきまえる」態度が際立つ場面です。現代でも、チームや組織で円滑に物事を進めるために、「任せる」「干渉しない」という選択の大切さを教えてくれます。
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