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人の価値は地位ではなく、徳の高さで測られる

景子は、孟子の前回の振る舞いが「礼」に反しているのではないかと問う。礼の教えでは、「父が呼べばすぐ応じ、君が命じて召せば車の支度を待たずして向かう」とされる。孟子は当初、朝廷に出向くつもりでいたにもかかわらず、王からの召しに逆らうようなかたちで朝廷に行くのをやめた。それは礼にかなっていないのでは、と景子は言う。

しかし孟子は、景子の見解を即座に否定する。そして、曾子の言葉を引用して、自らの信念を述べる。
曾子は「晋や楚のような大国の財力には及ばないが、私は仁の徳を持っている。それに義の徳が加われば、たとえ彼らが爵位や富を誇っても、私は何ら劣等感を持たない」と言ったという。

孟子はここで、「爵(地位)・歯(年齢)・徳(道徳)」という人間社会で尊ばれる三つの基準を示す。朝廷では爵が、郷里では年齢が、そして民を導く存在として最も大切なのが徳である、と。
この三つのうち、斉王は爵位しか持たないが、自分(孟子)は道徳と年齢を備えている。だからこそ、ただ爵位があるというだけで、自分を軽んじるべきではないと語る。

孟子は、自分の行動を“形式”ではなく“本質”によって正当化する。その本質とは、仁義を根本とした信念であり、道理に背かぬ態度である。たとえそれが王に対してであっても、信念に基づいて意見を述べ、誤りを正す。それが孟子の一貫した姿勢である。


原文(ふりがな付き引用)

景子(けいし)曰(い)わく、否(いな)、此(こ)れの謂(いい)に非(あら)ざるなり。
礼(れい)に曰(い)わく、父(ちち)召(まね)けば諾(だく)する無し。君(きみ)命(めい)じて召(まね)けば、駕(が)するを俟(ま)たず、と。

固(もと)より将(まさ)に朝(ちょう)せんとするなり。王(おう)の命(めい)を聞(き)いて遂(つい)に果(は)たさず。宜(むべ)なるかな、礼(れい)と相似(あいに)ざるが若(ごと)きは。

曰(い)わく、豈(あ)に是(こ)れを謂(い)わんや。曾子(そうし)曰(い)わく、晋(しん)・楚(そ)の富(と)みは、及(およ)ぶ可(べ)からざるなり。

彼(かれ)は其(そ)の富(と)みを以(もっ)てし、我(われ)は吾(わ)が仁(じん)を以(もっ)てす。
彼(かれ)は其(そ)の爵(しゃく)を以(もっ)てし、我(われ)は吾(わ)が義(ぎ)を以(もっ)てす。吾(われ)何(なに)ぞ慊(あ)かんや、と。

夫(そ)れ豈(あ)に不義(ふぎ)にして、曾子(そうし)之(こ)れを言(い)わんや。是(こ)れ或(ある)いは一道(いちどう)なり。

天下(てんか)に達尊(たっそん)三(さん)有(あ)り。爵(しゃく)一(いち)、歯(し)一(いち)、徳(とく)一(いち)。

朝廷(ちょうてい)は爵(しゃく)に如(し)くは莫(な)く、郷党(きょうとう)は歯(し)に如(し)くは莫(な)く、世(よ)を輔(たす)け民(たみ)に長(ちょう)たるは、徳(とく)に如(し)くは莫(な)し。

悪(いずく)んぞ其(そ)の一(いち)を有(ゆう)して、以(もっ)て其(そ)の二(に)を慢(あなど)ることを得(え)んや。


注釈(簡潔な語句解説)

  • 礼に曰く:古典『礼記』などに見られる礼儀の規範。
  • 父召無諾、君命召不俟駕:父に呼ばれたら即座に立ち、君に召されたら車の支度を待たず出発すべしという礼の教え。
  • 曾子:孔子の高弟で、徳を重んじたことで知られる。
  • 慊(あ)かんや:不満があるだろうか、いやない。
  • 爵・歯・徳:爵位(地位)、歯(年齢)、徳(道徳)を意味し、それぞれが尊ばれる場面が異なる。
  • 慢(あなど)る:見下す、軽んじること。

パーマリンク候補(英語スラッグ)

  • virtue-over-status(徳は地位に勝る)
  • not-all-honor-is-titled(すべての尊敬は地位によらず)
  • true-worth-is-virtue(真の価値は徳にあり)

この章は、孟子の徳に基づく指導者観を端的に示すものであり、社会的立場や形式よりも「何をもって人を測るか」を深く考えさせる一節です。

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