景子は孟子に対して、「君臣の礼においては“敬”が要である。王が先生を敬っているのは見たが、先生が王を敬している様子は見えない」と問いかける。
それに対し孟子は、即座に鋭く返す。「それはとんでもないことを言われた。斉の人々は、仁義の道をもって王に語ろうとする者が誰もいない。それは、仁義をくだらないものと思っているからではない。内心では、王は仁義を語るに足る人物ではない、と見なしているのではないか。それこそ、最大の不敬ではないか」。
孟子は、聖王・堯舜の道にかなうことでなければ、王の前では口にしないと自らを律する。それは、阿諛追従でも、表面的な敬意でもない。
むしろ、自らが心から信じる「仁義の道」でこそ王と語ろうとするその態度こそ、何よりも深い敬意のあらわれであると主張する。
孟子の言動は一貫しており、表面的な礼儀よりも、本質的な信念に基づく態度を重んじている。だからこそ、彼は誇りをもって言う――「私ほど王を敬している者はいない」と。
原文(ふりがな付き引用)
景子(けいし)曰(い)わく、
内(うち)は則(すなわ)ち父子(ふし)、外(そと)は則ち君臣(くんしん)、人(ひと)の大倫(たいりん)なり。
父子(ふし)は恩(おん)を主(しゅ)とし、君臣(くんしん)は敬(けい)を主(しゅ)とす。
丑(ちゅう)、王(おう)の子(し)を敬(けい)するを見(み)る。未(いま)だ王(おう)を敬(けい)する所以(ゆえん)を見(み)ざるなり。
曰(い)わく、悪(あく)、是(こ)れ何(なん)の言(げん)ぞや。
斉人(せいじん)は仁義(じんぎ)を以(もっ)て王(おう)と言(い)う者(もの)無し。
豈(あ)に仁義(じんぎ)を以(もっ)て美(び)ならずと為(な)さんや。
其(そ)の心(こころ)に曰(い)わく、是(こ)れ何(なん)ぞ与(とも)に仁義(じんぎ)を言(い)うに足(た)らんや、と。
爾(しか)云(い)えば、則(すなわ)ち不敬(ふけい)是(こ)れより大(だい)なるは莫(な)し。
我(われ)は堯舜(ぎょうしゅん)の道(みち)に非(あら)ざれば、敢(あ)えて以(もっ)て王(おう)の前(まえ)に陳(の)べず。
故(ゆえ)に斉人(せいじん)は我(われ)の王(おう)を敬(けい)するに如(し)く莫(な)きなり。
注釈(簡潔な語句解説)
- 大倫(たいりん):人間関係における最も重要な道徳。父子の恩、君臣の敬など。
- 敬(けい):真心と緊張感をもって相手を尊重すること。儀礼的なものにとどまらない。
- 堯舜の道:理想の王道政治。仁義を尽くす聖王・堯と舜の統治を理想とする儒家思想の根幹。
- 陳(の)べず:語らない。語るに足る内容でなければ発言しないという姿勢。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
- true-respect-is-principled(本当の敬意は信念から)
- honor-through-truth(真実こそが敬意)
- no-flattery-only-virtue(へつらわず、ただ徳を)
この章句は、孟子の思想の核である「仁義と誠の実践」を体現した場面でもあります。
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