「正しすぎるな、緩すぎるな──中庸こそ、君子の道」
― 片方に傾きすぎず、徳の調和を目指せ ―
孟子はここで、**“二人の聖人”の長所と短所”**を並べて、君子のあり方を述べます。
伯夷 ― 清廉すぎて、度量に欠ける
「伯夷は“隘(あい)なり”」
「隘」とは、潔癖すぎて、他人や社会に対して寛容さを欠く様子を指します。
- 伯夷は「不義の君には一切仕えず」「悪人とは言葉を交わさない」と、
道義を極限まで突き詰める高潔な人でした。
しかし孟子は、その徹底ぶりが人間的な融通や柔らかさを欠いていたことも認めています。
柳下恵 ― 自由すぎて、礼儀を損なうことも
「柳下恵は“不恭(ふきょう)なり」
「不恭」とは、礼に欠け、敬意が足りない態度のこと。
- 柳下恵は、道義は守るが、どんな人とも共に居て、堅苦しい礼法にはこだわらない柔軟な人格者でした。
しかし孟子は、それが形式を軽んじ、うやうやしさに欠ける印象を与えることもあると指摘します。
君子の道 ― 極端ではなく、調和を求める
孟子はこの両極を評価した上で、次のように断言します。
「隘(潔癖すぎること)も、不恭(自由すぎること)も、
君子の歩む道ではない」
君子とは、
- 原理原則だけに縛られすぎず、
- 世間と無節操に迎合することもなく、
- 中庸を保ち、徳をバランスよく体現する者
であるべきだと説くのです。
中庸の美徳 ― 孔子の道を体現する姿勢
この見解は、孔子が『論語』で説いた「中庸(ちゅうよう)」の精神と一致します。
- 潔癖な道義心(伯夷)
- 寛容な人間性(柳下恵)
孟子は、これらを排他的に捨てるのではなく、君子は“調和させて用いる”べきだという立場を取っています。
原文
孟子曰、伯夷隘、柳下惠不恭、隘與不恭、君子不由也。
原文(ふりがな付き引用)
「孟子(もうし)曰(い)わく、
伯夷(はくい)は隘(あい)なり。
柳下恵(りゅうかけい)は不恭(ふきょう)なり。隘と不恭とは、君子(くんし)由(よ)らざるなり。」
注釈(簡潔版)
- 隘(あい):潔癖すぎる、度量が狭いこと。
- 不恭(ふきょう):礼儀を欠き、敬意に乏しいこと。
- 君子不由也:君子はそのような道(極端な姿勢)は取らない。
この章は、孟子が極端な徳のかたちを批判的に見ながらも、それぞれの価値を認め、君子には“統合的徳性”が求められることを説いた名言です。
まさに「清濁併せ呑むが、節度は保つ」という、バランスの美学。
この考え方は、現代のリーダーシップや人間関係においても極めて有効な指針といえるでしょう。
2. 書き下し文
孟子曰く、伯夷は隘(せま)し。柳下恵は恭(うやうや)しからず。
隘と不恭とは、君子の由(よ)らざる所なり。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 孟子は言った。「伯夷は度量が狭い」
- 「柳下恵は礼を欠いていた」
- 「度量の狭さと礼を欠くことは、君子のとるべき道ではない」
用語解説
- 伯夷(はくい):古代中国の隠者。非義なる者に仕えることを極端に避けた高潔な人物。
- 柳下恵(りゅうかけい):清廉で温厚な人物だが、礼儀形式にこだわらず、人間性を重視した。
- 隘(あい):度量が狭い、融通が利かないこと。
- 不恭(ふきょう):礼儀に欠ける、形式を軽んじること。
- 君子(くんし):徳の高い人格者、理想的な人物像。中庸と柔軟性を備える。
全体の現代語訳(まとめ)
孟子は言った。伯夷はあまりに潔癖で、狭量にすぎる。
柳下恵は度量はあるが、礼節を無視する点に問題がある。
度量の狭さと礼節を欠く態度、このどちらも君子のとるべき道ではない。
解釈と現代的意義
◆ 「理想の君子」とは中庸の徳を持つ人
孟子は、どちらも極端な在り方を問題視しています。
- 伯夷のように、正義を貫くあまり一切の妥協を拒むのは、かえって人間関係や現実社会において適応を難しくする。
- 柳下恵のように、柔軟すぎて形式を無視すれば、組織の秩序や他者の敬意を損ねる可能性がある。
つまり、「中庸を保ち、融通と節度のバランスを取る」ことこそが君子のあるべき姿だというのが孟子の主張です。
ビジネスにおける解釈と適用
「正しさの貫徹」と「現場の柔軟性」の両立
- 伯夷タイプのリーダーは正義感に溢れるが、周囲を厳しく裁いて孤立しやすい。
- 柳下恵タイプは現場に寄り添うが、緩くなりすぎて規律を守れないおそれもある。
- 経営やチーム運営では、「正義」と「寛容」、「原則」と「状況対応」の両立が必要。
「極端に走らず、全体最適を図る姿勢」
- 融通のない原理主義では、変化の時代を乗り切れない。
- 礼を欠く馴れ合い体質では、信頼を失う。
バランス感覚が、長期的な信頼と成果に結びつく。
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