― 人に使われることを恥じるなら、仁を行うしかない ―
孟子は、まず孔子の言葉を引いてこう語る。
「人は仁の中に身を置くことが最も美しい」
「もしそれを知っていながら、自ら進んで仁を選ばないとしたら、その者に“智”はない」
つまり、仁は**ただの道徳ではなく、“選び取るべき生き方”**なのだ。
仁は「天の爵位」であり、「人の安宅」
孟子は続けて言う:
- 仁は、天(天命)が人に与えた最も高貴な位(爵)である。
- 同時に、人が安心して生きるための安住の地(安宅)でもある。
誰も人が仁に生きるのを妨げはしないのに、
あえて自ら“不仁”の側に身を置く者がいれば、それは“愚か”というほかない。
不仁・不智・無礼・無義は「人の役」
孟子は、仁のない人間の末路をこう断じる:
「不仁・不智・無礼・無義――こうした者は、人の“役(えき)”、すなわち使われる存在でしかない」
そしてさらに、こう皮肉る:
「人に使われることを恥じながら、自ら不仁に生きている者は、
まるで弓をつくる職人が、弓を作ることを恥じ、
矢を作る職人が、矢を作ることを恥じているようなものだ」
本来、自分の選んだ道でありながら、その立場を恥じること自体が矛盾しているのだ。
結論:もし恥じるなら、仁を行うしかない
孟子はこの章の結論として、きっぱりとこう言い切る。
「もし、人に使われることを本当に恥ずかしいと思うなら、
それを変える唯一の道は、“仁を行うこと”しかない」
仁を選ばずに、自立も誇りも求めることはできない。
真の自由・尊厳・誇りを得たいのであれば、道徳的な選択=仁の道を歩むべきだという孟子の強い主張が込められている。
原文(ふりがな付き引用)
「孔子(こうし)曰(い)わく、
仁(じん)に里(お)るを美(び)と為(な)す。
擇(えら)んで仁に處(お)らずんば、焉(いずく)んぞ智(ち)たることを得んや、と。夫(そ)れ仁は、天(てん)の尊爵(そんしゃく)なり。人の安宅(あんたく)なり。
之(これ)を禦(ふせ)ぐ者無(な)くして不仁なるは、是(こ)れ不智なり。不仁・不智・無礼・無義――これ、人の役(えき)なり。
人の役にして、役を為すを恥ずるは、
弓人(きゅうじん)にして弓を為(つく)るを恥じ、
矢人(しじん)にして矢を為るを恥ずるがごとし。如(も)し之を恥ずるならば、仁を為(な)すに如(し)くは莫(な)し。」
注釈(簡潔版)
- 仁に里るを美と為す:仁の徳の中に身を置くのがもっとも美しい生き方である。
- 尊爵(そんしゃく):高貴な位階。仁は天が与える最高の栄誉。
- 安宅(あんたく):心の安らぎの拠点、安心して住める場所。
- 人の役(えき):使われる存在、従属的な立場。
- 如くは莫し:これに勝るものはない。最上の手段である。
パーマリンク(英語スラッグ案)
act-with-benevolence-or-be-a-slave
(仁を行うか、奴隷であるか)choose-virtue-or-lose-dignity
(徳を選ぶか、尊厳を失うか)shame-of-servitude-and-the-way-out
(使われる恥とその脱出法)
この章は、**「仁とは選択である」**という孟子の強いメッセージが刻まれています。
職業や立場にかかわらず、自ら選んで「仁」を行うことが、真に自立した人間の道である。
それは古代に限らず、現代を生きる私たちにも深く響く教えです。
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