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同じ人間とは思えぬほど――孔子の徳の高さと、時代を越える存在感

目次

― 聖人のなかでも、さらに抜きん出た存在 ―

前章で孟子は「人類が生まれて以来、孔子のような人物は現れていない」と断言した。
それを受けて、公孫丑はさらに踏み込んで問う。

「では、その“他の聖人と異なる”点を、あえて教えていただけますか?」

孟子は答える――
孔子の弟子たち、宰我(さいが)・子貢(しこう)・有若(ゆうじゃく)は、智(知恵)によって聖人を見分ける力をもっていた人々である。
人物としてはやや劣るところもあったが、彼らは愛する人物に対してもお世辞は言わないような、誠実な性格だった。

そんな彼らの言葉こそが、孔子の偉大さを最も雄弁に物語る

三人の弟子が語る、孔子という人物

  • 宰我は言った:
     「私が先生(孔子)を見たところでは、堯・舜といった伝説の聖王よりもはるかに優れておられる」。
  • 子貢はこう述べた:
     「ある人が定めた礼(儀式)を見れば、その人の政治のあり方がわかる。
     また、その人が作った音楽を聴けば、その人の徳がどれほどのものかがわかる。
     百代(ひゃくだい)の後からでも、百代前の王者と比較して間違えることはない
     それほど孔子が残した礼楽には、人としての完成が示されている。
     だからこそ、孔子ほどの人物は、人類史上まだ現れていないのだ」。
  • 有若は、類比を用いて孔子を称賛した:
     「同じ種類であっても、その中には巨大な差があるのは、人間に限ったことではない。
     たとえば――
     麒麟は他の走獣(草食動物)とは比べものにならない。
     鳳凰は他の鳥とは違う。
     泰山は丘や蟻塚などとは全く別物である。
     黄河や大海と、雨水のたまった水たまりを比べることはできない。
     聖人と民も、同じ“人”という分類ではあっても、その違いは同じくらい大きい
     そのなかでも、孔子はその“類”から抜きん出ており、聖人の中でも最も卓越している
     人が生まれて以来、孔子ほどの徳のある聖人は、他にいないのだ」と。

この章は、孔子の人物像を最も立体的に描き出すエピソードの一つです。
単なる尊敬ではなく、徳・知・礼・音楽・比較を超えた存在感を、弟子たちの声によって示すことで、
孔子がいかに特別であったか、そして孟子がいかにその精神を継ごうとしたかが、深く理解できます。

原文

曰、敢問其以異。
曰、宰我・子貢・有若、智足以知聖人、汙不至阿其所好。
宰我曰、以予觀於夫子、賢於堯・舜遠矣。
子貢曰、見其禮而知其政、聞其樂而知其德。由百世之後、等百世之王、莫之能違也。
自生民以來、未有夫子也。
有若曰、豈惟民哉。
麒麟之於走獸、鳳凰之於飛鳥、泰山之於丘垤、河海之於行潦、類也。
聖人之於民、亦類也。
出於其類、拔乎其萃。
自生民以來、未有盛於孔子也。

書き下し文

曰く、「敢えて、その(聖人の中でも孔子が)異なる理由を問います。」
曰く、「宰我(さいが)・子貢(しこう)・有若(ゆうじゃく)は、智により聖人を知るに足る者であり、心が濁っていても、その好むところに媚びるような者ではない。」
宰我は言った、「私から見れば、孔子は堯・舜よりもはるかにすぐれている。」
子貢は言った、「礼儀を見るだけでその政治を知り、音楽を聞くだけでその徳を知ることができる。百代後の王であっても、孔子の高みに並ぶことはできない。人類が生まれて以来、孔子のような人物はいなかった。」
有若は言った、「それは人の中に限らない。
麒麟が走獣(四足の獣)の中で、鳳凰が飛鳥の中で、泰山が小山の中で、河海が小川や水たまりの中で、それぞれ群を抜くように、
聖人が民の中にあるのもまた類(同じジャンル)であり、
その類を超え、その集まりの中から抜きん出ているのが孔子である。
人類の歴史の中で、孔子ほどに偉大な人物はいなかった。」

現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「(弟子)その違いとは何でしょうか?」
  • 「宰我・子貢・有若の三人は、聖人を見抜くに足る賢者であり、自分の好みに媚びて判断を誤るような人物ではない。」
  • 「宰我は言った:『私の目から見れば、孔子は堯や舜よりもはるかに優れている。』」
  • 「子貢は言った:『孔子の礼儀を見れば政治の理想がわかり、音楽を聞けば徳の高さが分かる。100世代後の王でさえ、孔子には敵わない。』」
  • 「孔子のような人間は、古来未だ存在しなかった。」
  • 「有若は言った:『それは人に限らず、麒麟が獣の中で、鳳凰が鳥の中で、泰山が小丘の中で、河海が小さな流れの中で、それぞれ比類なき存在であるように、
    聖人が人の中にあるのもまたそうであり、孔子はその中でも群を抜いている。』」

用語解説

  • 宰我・子貢・有若:孔子の高弟。いずれも聡明で、孔子の人物評価に信頼性がある。
  • 阿る(おもねる):相手にへつらって意に沿うように振る舞うこと。
  • 堯・舜(ぎょう・しゅん):古代中国の理想的な聖王。
  • 麒麟・鳳凰:霊獣として尊ばれる象徴的存在。非凡・希少・理想の象徴。
  • 泰山(たいざん):中国を代表する名山。権威の象徴。
  • 河海:黄河・海などの大きな水の流れ。
  • 丘垤(きゅうてつ)・行潦(こうろう):小さな丘、小川や水たまり。凡庸の象徴。
  • 出於其類、拔乎其萃:「同類から現れ、その中でも突出している」の意。

全体の現代語訳(まとめ)

弟子たちは、孔子が他の聖人と比べていかに異なるかを尋ねた。
孟子は「宰我・子貢・有若といった智者たちは、自分の主観に左右されずに聖人を判断できる」と述べたうえで、それぞれの孔子への賛辞を引用する。

  • 宰我は「堯や舜より孔子が優れている」と断言し、
  • 子貢は「孔子の言動からすべての徳が理解できる。後世の王ですら超えられない」と述べる。
  • 有若は、「孔子は麒麟・鳳凰・泰山・河海のように、群を超えて存在する人物」と称えた。

そして孟子も、人類が生まれてからこのかた、孔子に勝る人物は存在しないと明言する。

解釈と現代的意義

この章句は、**「偉大さとは何か」「本質を見抜く目とは何か」**を説いています。

  • 知者の評価に基づく真の偉大さ
     孟子は、表面的な人気や実績ではなく、賢者たちの冷静な観察をもとに孔子を絶賛している。
  • 比類なき存在の価値
     麒麟・鳳凰・泰山・河海──いずれも、同じカテゴリー内にありながらも、他を圧倒する存在。孔子もまた、民の中にありながらも絶対的に抜きん出た存在として描かれている。
  • 模範の力
     孔子の存在は、時代を超えて「理想的な人間像」「道徳の具現者」として模範になりうる。その価値は「不変であり普遍」であることが強調されている。

ビジネスにおける解釈と適用

「真のリーダーは、時代を超えて価値を持つ」

孔子のように、「行動」「礼」「言葉」「姿勢」すべてが整っている人物は、どの時代にも通じるリーダーのモデルとなる。

「偉大さとは“類を超えて抜きん出ること”」

社内においても、単なるスキルや実績では測れない“品格”や“存在感”を持つ人物は、まさに「出於其類、拔乎其萃」。一段上の影響力を持つ人材として重視される。

「本物を見抜ける目を持て」

宰我・子貢・有若のように、知識だけでなく“おもねらずに評価できる力”を持った人が組織には不可欠。
リーダーの採用や評価には、媚びない誠実な目をもつ評価者が必要。

ビジネス用の心得タイトル

「類を越え、萃を抜け──“唯一無二”が組織を導く」

この章句は、**「真の偉大さとは何か」「信頼される判断とは何か」**を深く問う一節です。ビジネスにおいても、他を圧倒する人間的な魅力と、それを見抜く智者の目が組織の質を左右します。

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